賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

*

夢と現実の悲しき誤解

   

「夢みたいなこと言ってないで、もっと現実を見なさい!」などというセリフが本当に実在するのかどうかは知らないけれど、とにかく頭の固い教育ママ的な大人はしばしば、子供達に対してこのような主張をしてしまう。

 

「夢など見ていないで現実を見る」という主張は、一見すると人生をうまく生き抜くにあたって合理的なように感じるが、果たして本当にそうなのだろうか。

 

こういった文脈において、おそらく多くの人が考える「夢」や「現実」というのは、どうにもオレの感性とは食い違っていることが多い。そういった大人たちが本当に「夢」と「現実」ということの本質を深く考えてから発言しているとはとても思えない。

 

多くの“大人”が考える「夢」なるものは、おそらく、スポーツ選手、タレント、モデル、俳優、アイドル、ミュージシャン、芸術家、漫画家、小説家、あるいは学者、経営者、医者、弁護士といったような、一見してわかりやすい“成功者”といった類の社会的ポジションのことだろう。

 

一方、「現実」はと言えば、一般的なサラリーマンや公務員といった類になるだろうか。

 

まあ、オレに言わせればこの時点で既に、なんてイメージ貧困な……と言った感じなのだけど(笑)、それはともかく、多くの自称“大人”はこのように「夢」と「現実」を分類しているのだろう。まあ、確かにわかりやすい分類だ。

 

しかし、この分類の仕方が暗黙のうちに内包している致命的な勘違いに気付けるだろうか。

 

つまり、「夢を叶えるためには類稀なる才能と尋常ならざる努力が必要なのだ」という主張は普通に理解できる。そして、「だから、そんな確率の低い生き方を安易に選ぶべきではない」という主張も然りだ。(そんなつまらないこと言ってんじゃねえよという心の声は今はぐっとこらえておくとしてw)

 

しかしながら、このふたつの主張は、暗に、「夢を叶えるのは選ばれた人間だけであり、凡人は現実的に生きるしかない」と言っており、逆に言えば、「夢を追うなら条件として飛び抜けた才能と努力が必要だが、現実的に平凡な人生を送るならば特別な実力や努力は必要ない」という論理的な飛躍を当然の事として助長してしまう。

 

これこそが、夢と現実の致命的な誤解だ。

 

もしこれが誤解ではなく真実なら、まさに今の時代において、「現実的な生き方」であるはずの「平凡なサラリーマン」になるために必死で就職活動していてもなお上手くいかない人間の割合がいよいよ増えてきているという事実にどうやっても説明がつかない。

 

まさに、「安全な人生」だったはずの「平凡なサラリーマン」という生き方が、もはや実は狭き門になってきてしまっているという事実。だったら、まだ「夢」を追って狭き門に挑んでいた方が、主観的にはもちろん、客観的に見ても“良き人生”だったのではないか。そう思わずにはいられない。

 

いずれにしても、自称“大人”な方々は、このような頭の足りていない誤解を容易に招くような発言は慎むべきだろう。

 

オレに言わせれば、そういう頭の足りていない“大人”が好みそうな「現実」とやらの方が、今の時代においては、よほど“夢物語”である。

 

この記事を読んで、耳とか心とかにグサッときた教育ママ達よ、いま一度、「現実」を見つめ直すことをオススメする。

 

 - 教育