賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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情報をきちんと得るとはどういうことか

   

「あなたは他人の話をきちんと正確に聞けている自信がありますか?」と問われて「イエス!」と即答できる人は世の中にそうそう多くはいないだろう。もちろん、オレ自身もそんなおこがましいことは口が裂けても言えない。

 

この現代という高度に発達した情報化社会にあって、もはや一般的な人が普通に知り得る情報は事実上、無限と言ってもいいほどになっている。わからないことは天下のGoogle先生が何でも教えてくれる時代だ。

 

しかし、だからこそ、まさにその情報の伝達構造それ自体が罠になってしまってもいる。

 

確かに、Google先生は何でも教えてくれる。しかしそれは、あくまであなたが検索窓に何かを入力すればの話である。逆に言えば、あなたの「質問力」によって、得られる情報の質は大いに変わってくる。

 

インターネットが高度に発達したことで、人々は自分にとって都合の良い、耳心地の良い情報だけを選んで追いかける傾向が強くなってきた。特に、SNSなどに代表されるような、自分が得たい情報を発信しているアカウントのみを自分で選んで閲覧するというスタイルはその典型だ。

 

かつて、テレビやラジオや新聞などの公共媒体しか情報源がなかった時代においては、なんとなく電源をつけておけば様々な情報が流れてきた。つまり、特に鋭くアンテナを張っていなくても、いわゆる「世の中の論点」みたいなものが漠然とでも把握できただろう。

 

しかし、今の時代は本当に、油断していると、情報の大洪水に飲み込まれてあっという間に溺れてしまうか、あるいはそれを恐れて何の情報にも手が出せなくなってしまうかのどちらかである。

 

「人は思考するという“重労働”を避けるためならどんなことでもする」とは誰のセリフだったか忘れたけれど、本当にそうなのだなと思わされることが多々ある。それはもちろんオレ自身も例外ではない。ちょっと油断していると、すぐに考えなくて済む方に身を任せてしまう。

 

(だからこそ、確固たるビジョンを与えてくれる“リーダー”なるものに我々はいつの時代も魅力を見出すのだろうけど)

 

しかし、本来それではいけない。自分で選んで情報を得るということは、つまり、自分が特に苦労することなく処理できるレベルの情報しか受け取らないということだ。確かに、TwitterやFacebookを見るようなノリでカントの『純粋理性批判』に手を出すような変態はそうそういない。

 

しかし、そのような楽な道を選ぶことを繰り返していては、頭は悪くなっていく一方だ。冒頭の「人の話をちゃんと聞く」という話に戻るなら、そういう楽な情報は「ちゃんと聞く(読む)」という努力が要らないので、当然ながらその能力は退化する。

 

かつての脳科学の研究では、情報が多ければ多いほど脳は適切な思考プロセスを経て最適な判断を下すはずだとされてきた。しかし、最近の研究では、その説はどうも覆されつつあるようだ。

 

「情報が多ければ多いほど」という言葉には、ひとつ注釈をつけなければいけなかったのだ。すなわち、「自分のキャパシティの範囲内で処理できる」というフレーズを直前に付けなければならない。量・質ともに自分のキャパシティを越えてしまった情報は、もはや何もないのと同じだ。

 

これからの時代は、さらに情報で溢れかえるようになるだろうことは容易に想像できる。そこを踏まえた上で、きちんと自己の成長に適切な情報を自分で取捨選択して咀嚼することが果たしてできるだろうか。

 

そんな思いで、もう一度この問いを投げかけよう。

 

「あなたは他人の話をきちんと正確に聞けている自信がありますか?」

 

 - メディア論