賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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ブランドであるということの意味

   

世の中で、俗に“ブランド物”と呼ばれているような商品あるいは企業というのは数多いけれども、それらの商品あるいは企業が何をもってブランドであると言えるのか、ということをあなたは深く考えてみたことがあるだろうか。

 

例えば、有名どころで言えば、ルイ・ヴィトン、ロレックス、アルマーニ、フェラーリなどなど、あるいは、ビートルズやゴッホ、はたまた、シカゴ・ブルズやレアル・マドリードに至るまで、広い意味で、世の中には“ブランド”というものがいくらでもある。

 

確かに、これらの商品(企業・人物・組織)は世間一般で“ブランド”として認知されている。これは疑いようもない。では、これらの“ブランド”というものは、一体誰が“ブランド”だと決めたのだろうか。

 

はっ、言われてみれば……!

 

とあなたは思われたかもしれない。意外と“ブランド”に対してこのような視点を持ったことがある人というのは数少ないのではないだろうか。

 

誰が“ブランド”を“ブランド”だと決めるのか。その答えは、自らをそのブランドの創り手としての立場に置き換えてみると考えやすい。すなわち、あなたは世の中に対して、自社の製品を“ブランド”にしていきたいと考えているとしよう。

 

まず、ここでひとつ気が付くのが、いくら創り手(売り手)がブランド物にしたいと思っても自動的にできるわけではないということだ。言われてみれば確かに当たり前だ。では、やはり“ブランド”かどうかを判断するのは受け手(買い手)ということになる。

 

そもそも、ある商品(あるいは企業)などがどのようにしてブランドになるのか、もっと言えば、どのようにブランドにするのか、というのは、「ブランディング」というビジネス上の非常に重要なプロセスを経なければならないのだけど、これはもはや大きなひとつの分野であって、これだけで本が何冊も書けてしまうレベルのものだ。というわけで、ここでは都合よくばっさりと省略しよう(笑)

 

そして、そのブランディングが完成したのかどうか、つまり、 その商品(企業)は“ブランド”になったのかどうか、ということを創り手(売り手)の側から判断することは原理的には不可能である。

 

それはなぜか……?

 

以前に、『アイデアの源泉』という記事でも書いたけれども、何に価値を見出すのか、すなわち、何をブランドとして認めるのか、というのは完全に個人個人の主観だからである。

 

あるものが“ブランド”であるか否か、というのは、性質としてその「あるもの」に付属しているわけでは決してなくて、お客様一人一人の脳内にのみ主観的に存在している概念に過ぎないのである。

 

客観的に、“ブランド”として認められるための条件みたいなものがあるわけではまったくない。価格が高くて豪華な仕様になっていればブランドである、などというサムい勘違いをしていてはいけない。

 

まあ、今どきそんな人はいないと思うけれども(笑)

 

さて、では最後に、とあるジャンルにおいて、物事の主観と客観の対比を非常によく表したフレーズがあるので、勝手ながらそれを少しアレンジして、今回のまとめとさせていただこう。

 

「あなたがブランドだと思うものがブランドです。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません」

 

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