賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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絶対に理解してほしい3つの対概念【前編】

   

桐峰矜が好ましく思う人物像のひとつとして、「主観と客観」、「具体と抽象」、「相対と絶対」という3つの対概念をきちんと理解している(しようとしている)人、というのがある。

 

この3つをきちんと考えたことがない人とはあまり話が弾まない、というより、あえて悪意を込めて言えば、話もしたくない。話が噛み合わないとはまさにこのこと、といった状態になる。

 

オレ自身は個人的に、これらの概念を理解するためにあまり特別な努力をしたという記憶がないのだけど、意外ときちんと理解するには、学校のおべんきょーができるかどうかとはまた別のセンスが必要だったりするらしい。

 

まあ確かに、高校までの国語の授業であまりこういうことは熱心に教えていないのだから無理もない。(そして大学受験のための現代文の授業でも先生によっては扱わない)

 

逆に言えば、こういった概念をきちんと理解していない人、更には、しようともしない人というのは、一体どういった世界観で生きているのだろうか、とオレなんかは不思議に思ってしまう。他人と会話していて不便じゃないのだろうか。

 

まあ、それはいいとして、あなたがもしこういった概念を今まであまり意識していなかったのであれば、これを機に少し考えてみるようにしてみるといい。

 

「主観と客観」、「具体と抽象」、「相対と絶対」、という3つの対概念である。「対概念」というのは、まあアバウトに「対義語」と似た意味だと理解してくれればここではひとまず問題ない。ちなみに「対概念」は「ついがいねん」と読む。

 

さて、まずは、「主観と客観」について。何はなくとも、まずは辞書を引こう。

【主観】:認識し行為する主体の自我、その人ひとりの物の見方
【客観】:観察や認識などの主観から独立した外界の事象、第三者の立場からの観察や思考

さてさて、早くも意味不明である(笑)

 

何故このような意味不明な記述になっているかというと、この「主観」と「客観」というのは、もともとカント哲学の認識論という分野に出てくる用語で、我々の日常会話ではこのままの形で使うことはあまりない。

 

普通は、「主観的」、「客観的」といった形で使われる。そして多くの場合、上で書いた辞書の記述のそれぞれ2番目の意味からの派生である。

 

つまり、「主観的である」というのはあなただけの物の見方だということだ。「あなただけの」とか言われると、何やら特別感があるかもしれないが、どちらかと言えば、これは否定的なニュアンスを持つ表現で、「視野が狭い」、「みんながそう思っているわけではないぞ」という無言の指摘を内包している。

 

反対に、「客観的である」とは、「誰が見てもそうである」、「数字で証明できる」など、冷静かつ公平に物事を捉えているという印象の言葉である。文脈によっては、非常に冷めた印象にもなる。

 

日常生活レベルでの具体例で言えば、このようなやりとりがわかりやすい。

「『ONE PIECE』って面白いよね」
「いや別に、全然。ってかちゃんと読んだことすらねえわ」
「なんでよ、面白いじゃん」
「そりゃお前の主観だろ」

あるいは、こういった例でも理解しやすい。

「北川景子って客観的に見て美人だと思うけど、主観的に見て可愛いとは思わないわ」
「そりゃお前の好みの問題だろ」
「だからそうだって言ってるだろうが」

ご理解いただけただろうか。

 

このように、主観と客観というのは、「自分がそう思っているだけ」なのと「誰もが認めざるを得ない」ということの対概念である。

 

ここを理解できていないと、『ONE PIECE』は誰が読んでも面白いなどという反吐が出るような勘違いを平気で口にしてしまうことになりかねない。そんな無思慮極まりない人間を桐峰矜が好ましく思うわけがないのだ。(何を偉そうにw)

 

さて、そんなところで、残りのふたつ、「具体と抽象」と「相対と絶対」についてはまた別の記事で書くことにしよう。

 

絶対に理解してほしい3つの対概念【後編】

 

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