賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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答え合わせのタイムラグと起業家精神

   

誰もが知っている通り、学校のお勉強というのは基本的に、問いがあって、答えがあって、先生がいて、自分が出した答えの答え合わせをする手段というのはいくらでもある。そして、自分が答えを出してから答え合わせをするまでにタイムラグはほとんど存在しない。

 

思うに我々は、小学校に入学して、お勉強という形での知的な営みを始めて以降、義務教育、高校、あるいは人によっては大学と、このようにずっと、「答え合わせのできないストレス」を感じることなく生きてきたのだろう。そこでは、問題には当たり前のように正解があって、それが現時点での自分の頭脳で理解できるかどうかはともかくとして、いつでも自由に答えを確認することができるわけだ。

 

このように、問題と正解が常にワンセットになって存在しているという状況に慣れ過ぎてしまうと、すぐに答え合わせができないような状況に直面した場合に、非常に強いストレスを感じることになる。言い換えれば、答えの出ない問いを長い期間、自分の中で疑問のまま持っておくことに言いようのない気持ちの悪さを感じてしまう。

 

このあたりに、オレは日本で起業家精神のようなものが育ちにくい土壌がある気がしてならない。

 

例えば、上で書いた「問題」と「正解」の部分を「労働」と「報酬」に置き換えてみるとどうだろうか。少し勘の良い人なら、もう既にオレが言いたいことを何となく理解したと思う。

 

つまり、雇用者によって明確な「労働/報酬」の体系を提示されて、それに納得したうえで契約に至る被雇用者という性質は、なんというか非常に学校のお勉強と構造的に似ているのだ。

 

1時間働けば1200円、1ヶ月働けば30万円、1年間働けば400万円、というように、契約書という名の教科書に正解が載っていて、それをいつでも機械的に把握することができる。そういう意味で、自分の出した答え(労働)は正しいのか(報酬を受け取れるのか)ということを長期間に渡って悩むというストレスはない。

 

ところが、他人に雇用されることなく、自分で主体的にビジネスを行っていこうとする場合、その答え合わせが簡単にはできない。というより、構造的に当たり前なのだけど、やってみなければわからないという面がある。

 

本来、仕事というのは相手に与えた価値の対価としてお金を受け取るという営みだ。逆に言えば、相手は価値を感じた場合にのみ対価を支払うのが道理と言える。つまり、相手が価値を感じていなければ、本来は何も受け取れなくて当たり前なのだ。

 

ビジネスの規模を大きくしたい場合、人を雇って役割分担をすることになるのだけど、その報酬は「生み出した価値」によってではなく「拘束した時間(日数・週数・月数なども含む)」によって計算されることがほとんどだ。だからこそ、雇われている側は容易に「答え合わせ」ができる。

 

一方で、自分でビジネスを興すと考えたときに、出した商品が売れるかどうかなんて出す前からわかるわけがない。(テストマーケティングがどうこうという話は今回の文脈では省略する)

 

つまり、多少なりとも時間をかけて生み出したものが、実際に本当に売れるのかどうかはまったくわからないという現実。もっと言えば、苦労して創り上げたものがまったく報酬を生まないかもしれないという恐怖。この「答え合わせ」のできないストレスたるや半端ではない。

 

意識的であれ無意識であれ、ここを乗り越えられる人間だけが起業家精神なるものの持ち主なのだろうなと個人的には思ったりする。

 

オレは別に、日本に起業家がもっと増えたらいいのにとはまったく思わないけれども、これからの時代、今までよりも更に「確かなものなんてない」世界になっていくことは間違いない。そういう時代を生きることはもはや避けられない道であって、そんな中でも、何とか楽しく生きていくためには、「答え合わせ」ができないことをむしろ楽しむくらいの気概が必要になってくる。

 

そういうヒトに、ワタシはなりたい。

 

 - 思考