賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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メンタルが強いとはどういうことか

   

「メンタルが強い」とか「メンタルが弱い」とったフレーズは誰でも一般的によく耳にするものだ。けれども、もはや一般的すぎるが故に、この「強い」や「弱い」が本質的にどういう意味であるのか、というのはあまり深く考えられていないような気がしてならない。

 

一般的に、「メンタルが強い」という言葉は、「根性がある」といった言葉とよく似た意味として使われることが多い。つまり、「窮地におちいった際にも諦めることなくやり遂げる」というようなニュアンスが最も近いだろう。

 

あるいは、普通の人が緊張によって萎縮してしまいがちな状況においても堂々と普段通りの精神状態を維持することができる、といった意味でも使われる。「プレッシャーに強い」という言葉も、おそらくはこれとほとんど同じ意味だ。

 

さて、ここまでの説明には誰も異論はないと思うけれども、ここからは少しばかり変化球を投げさせてもらう。

 

上で挙げたすべての状況は、なるほど確かに、傍から見たらメンタルが強いということになるだろう。多くの場合、「一見ピンチだけれども、決してそれに負けない」というニュアンスだからだ。

 

けれども、実はこの「一見ピンチだけれども」の部分にこそ、意外と見落としがちながら極めて重要な知見が隠されている。

 

どういうことか。

 

「一見ピンチだけれども」というのは、まさに文字通り「一見」であって、それはあくまで他人が外から見た印象に過ぎないのだ。逆に言えば、実際には、本人はその状況を「ピンチ」だと認識していない可能性がある。

 

そのような場合において、その人は果たして、「メンタルが強い」と言えるのだろうか。

 

これは別に、皮肉として言っているわけではない。純粋に、そもそも問題を問題だと認識していない状況で、それに対する対処も当然するつもりがないという精神状態を「メンタルが強い」と言えるのか。

 

実は、その人にとっては完全に精神状態がニュートラルなまま一貫して変動していない場合に、その人のメンタルが強いか弱いかなんて判断できるはずがないのだ。

 

しばしば耳にする言説として、「女性の方が土壇場ではメンタルが強い」などというものがある。確かに、経験的にも一理はありそうだ。けれども、果たして本当に、その女性は男性と同じレベルで精神的な負荷を認識しているのだろうか。更には、認識したうえで乗り越えているのだろうか。

 

オレにはどうも、そうは思えない(笑)

 

「認識」というのは、それだけで哲学者が一生涯をかけて研究したりもするような非常に奥が深い分野でもあるのだけど、確かにそれもそのはずだと感じる。

 

つまり、ある人の「メンタルが強い」のかどうかは外から見て他人が正しく認識することなど実はできないということだ。何故なら、ある人が精神的に負荷を負荷だと認識しているかどうかは他人からは知る由もない。

 

このように、意外と普段当たり前のように使っている言葉も、ふと冷静になって本質的にはどういうことなのかということを考えてみると、実はいろいろとツッコミどころがあることに気付ける。

 

しかし、実質的には特に何も生産的な意味はないただの知的な娯楽なので、是非とも暇なときにいろいろと考えを巡らせてみてほしい。

 

まあ、そんな暇があればの話だけれども(笑)

 

 - 思考