賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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競合のあれこれ

   

主にビジネスの文脈で使われる「競合」という言葉は多くの場合、「同業者」あるいは「似たような商品・サービス」という意味で捉えられている。けれども、実はそのような捉え方では誤解を生む場合があるし、どうにも説明がつかない局面というのが存在する。

 

なるほど確かに、商品Aと商品Bを比較してどちらかを購入するという状況において、その比較対象は売り手の側からすれば一見「競合」に思える。つまり、どちらかを選び、もう一方は選ばないというわけだから、いかに自社の商品・サービスを選んでもらうかという視点で比較対象には常に目を光らせておかねばならない。

 

しかし、もう少し前の段階として、ここで注意するべきなのは、「本当にそのAとBは比較対象なのか」ということである。しかも「お客様の頭の中で」だ。もっと言えば、「お客様の無意識の中で」でもいい。

 

ふと、何気なく人々の消費活動を眺めてみると、「あれ?」と思うことがしばしばある。

 

冒頭に書いた定義によるなら、「競合」とは「似たような商品・サービス」であって、一方を選び、他方は選ばれないような関係性にあるものだということになる。

 

けれども、世の中を少しフェアに観察してみると、人々の消費は意外とそうなっていないということがわかる。

 

いくつか例を挙げよう。

松屋と吉野家は本当に競合しているのだろうか?
言い換えれば、松屋を選んだ人は吉野家を選ばないのだろうか?

ゴスペラーズとRAG FAIRは本当に競合しているのだろうか?
言い換えれば、ゴスペラーズのCDを買った人はRAG FAIRのCDは買わないのだろうか?

ジャンプとマガジンとサンデーは本当に競合しているのだろうか?
言い換えれば、ジャンプの読者はマガジンやサンデーを読まないのだろうか?

イケアとコストコは本当に競合しているのだろうか?
言い換えれば、イケアが好きな人はコストコの家具は買わないのだろうか?

ソニーのPSPと任天堂のDSは本当に競合しているのだろうか?
言い換えれば、PSPを買った人はDSを買わないのだろうか?

実際には、決してそんなことはない。

 

牛丼が食べたい人ならどちらにでも行くだろう。
ヴォーカルグループが好きな人ならどちらでも聴くだろう。
少年漫画が好きな人はどれでも読むだろう。
気に入ったデザインであればどちらでも買うだろう。
ゲームが好きな人ならどちらも使うだろう。

 

こう見ていくと、実は「競合」というのは必ずしも「似ている商品・サービス」というわけではない。お客様の脳内には、どちらかを選んでどちらかを切り捨てるという感覚はそもそもないのだ。どちらも選べるものは選択肢ではない。一方を選ぶかぎり他方は選べないものが選択肢(=「競合」)であるのだから。

 

この資本主義という経済システムにおいて、ビジネスとはお金の奪い合いであると同時にお客様の時間の奪い合いでもある。

 

一人一人にとって平等に限られた24時間をいかに自社の商品・サービスへの消費に割いてもらうか。この感覚は意外と見落とされがちだが非常に重要だ。

 

お客様の脳内で牛丼屋と競合しているのは実はラーメン屋かもしれないしカレー屋かもしれない。音楽が好きな人が無意識に比較対象としているのは読書や映画に割く時間なのかもしれない。漫画をよく読む人は友達と遊ぶ時間(に生まれるかもしれない消費)を削って読んでいるのかもしれない。

 

このような観点で考えてみると、実は一般的に考えられているような「競合」は売り手が勝手に思っているだけの可能性がある。

 

「ウチはクリーニング屋さんだから競合は隣町のクリーニング屋さんか」と思っていては明日が見えない。そうではなく、目を向けるべきは、洗濯機・洗剤・コインランドリーの類だ。

 

もはや再三にわたって繰り返してきたのでそろそろ耳にタコどころかイカもできてきそうだが、「競合」というのはあくまでも「お客様の脳内で(無意識に)」「何をやめてそれを選んでいるのか」という視点で考えることが何よりも重要なのである。

 

お客様が(無意識も含め)自社の商品・サービスを何と比べて選んでいるのか。はっきりと正確にとらえることはそう簡単ではないが、非常にやりがいのある知的営みだと感じる。

 

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