賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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行動が早いことは本当に大切か

   

一般的に、どのような分野においても、ある種の成功者と呼ばれる人々はどうやら迅速な行動力を有しているらしい、ということになっている(されている?)のだけど、果たして本当にそうなのか、という素朴な疑問がオレの中には常にある。

 

これはもちろん統計学とかその他の学問領域の力を借りて厳密に検証することなど不可能……ではないにしても、まあまあ、相当に困難であろうということは容易にわかる。けれども、そういった現実的な文脈とはまたちょっと別に、ここでオレがまず言いたいのは、「成功者はすべからく迅速な行動力を有していた」という、ある種の「物語」の中に我々読み手は簡単に取り込まれるべきではないということだ。

 

もちろん、あくまでオレ個人の感覚で言えば、「成功者は行動が早い」という主張は取り立てて反駁されるべきものとは思えない。確かに、そりゃそうだろうなといった感じがもちろんある。だけれども、この「行動が早い」の部分が非常に、なんというか、言葉はシンプルなのだけど、意外とクセ者なのである。

 

通常、心理状態がニュートラルな場合、「どうやら成功者は行動が早いらしい」と聞くと、「なるほど、そうなのか」と思って、自分も身近なところから行動を早めてみようと考える。これ自体にはまったく何の問題もない。というよりもむしろ、どちらかと言えば褒められるべきことである。(オレ自身はあまりそうならないのだけどw)

 

しかし、実はここに致命的な落とし穴があったりする。それは、まず、「行動が早い」という言葉の本当の意味は、いわゆる「アイデアの種」とでもいうべきものを思いついてから、いざ行動に移すまでの脳内の戦略構築が圧倒的に早い、というニュアンスに近いというのがオレの認識である。そして、これこそが傍から見ていると「成功者は行動が早い」と描写されてしまうような事象の種明かしなのではないかと。

 

一般的に、普通の人(この表現が適切か否かは今はわきに置くとして)は「アイデアの種」を思いつくのにかかる時間と、「脳内の戦略構築」にかかる時間がいわゆる成功者のそれと比べて致命的に遅いのだと思う(まあこれは別に責められるべきことではなくてそれが普通なのだろうけれども)。しかし、その真実を「成功者は行動が早い」という言葉で表現してしまうと、少しばかり悲劇が起こる。

 

まず第一に、「アイデアの種」の質を検証することを怠ることになる。本当にこのアイデアを実行する意義があるのかという部分を深く自分で問わなくなると言い換えてもいい。第二に、「脳内の戦略構築」の過程を綺麗さっぱり抜け落としてしまう。何故なら、その過程が必要不可欠なものとして存在していることにすら気づいていない場合がほとんどだからだ。

 

こうした真に重要な部分を見落としてしまったまま、「成功者は行動が早い」という言葉の表面的な意味のみに引っ張られて、およそ実行に移すべきではないアイデアを適切な戦略に沿うことなく無闇やたらとスピード感だけを求めて見切り発車してしまうという悲劇。そして、当然ながら多くの場合その行動は失敗に終わる。

 

では、一体どうすればいいのか?

 

それは、人生のあらゆる局面において、何らかのヒントを与えられた場合に、そのヒントの“言語化されていない部分”を注意深く読み取る癖をつけることだ。広い意味でのいわゆる成功法則やノウハウみたいなものには、その著者の経験や試行錯誤の結果だけが体系化されて示されている。言い換えれば、一冊の本にまとめられる程度の分量に情報が抽象化されているというわけだ。言われてみれば当たり前でも、意外と気づいていない人が多いのが不思議なところだけども。

 

しかも、抽象的な概念を抽象的なまま理解することは、一見すると情報負荷が低いので、気軽に頭が良くなった気分を味わえてしまう。が、しかし、まさにその抽象化の過程で削ぎ落とされた“言語化されていない部分”にこそ、真に重要なヒントが隠されているのだということを決して忘れてはならない。

 

と、自戒の意味も込めて書いておく。

 

 - 思考