賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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滑舌が良い悪いとは何ぞや?

   

言語学、とりわけ音声学や音韻論の分野で扱われることになっている「発声」というものの中で、「滑舌」というのは一体どのような存在なのだろうか。簡単なようで意外ととらえどころのない「滑舌」というものを今回は少し考えてみる。

 

一般的に、言葉をはっきりと滑らかに発声できることが「滑舌が良い」というのは間違いないだろうが、そこに「言語間の差」という文脈を差し込んでみると、どういった解釈ができるだろうか。

 

「言語間の差」というのはつまり日本語と英語、中国語とスペイン語、はたまたアラビア語とバスク語、といったような異なる言語における「滑舌」というものを考えるということである。

 

まあ、これは考えれば当たり前で、ひとつの言語(ex.日本語)だけで考えていたら上にも書いたように、「言葉をはっきりと滑らかに発声できることが『滑舌が良い』というのは間違いない」という結論で終わってしまう(笑)

 

そうではなくて、例えば、日本人とスペイン人ではどちらの方が滑舌が良いのだろうかといったような疑問に答える術はないのだろうかということだ。これは我ながら意外と面白い命題だと思う。というより、良くも悪くもこんなことに疑問を持つような人が他にいるのかわからない(笑)

 

さて、オレが何故このポイントに疑問を持つに至ったのかというと、かつてまだ言語学などに興味を持ち始めるよりもだいぶ前の子供の頃に、純粋に「スペイン語って早口だし巻き舌だし、よく舌を噛まないよなー」と思ったのが最初のきっかけだったと思う。そして、この時にふと、「スペイン人って滑舌良いよなー」と一瞬だけ思ったのだが、何故かその後ずっと何とも言えない違和感が自分の中にあった。

 

その違和感の正体とは一体何だったのか。

 

それは、実は「日本人が日本語を喋る際の滑舌」と「スペイン人がスペイン語を喋る際の滑舌」というのは単純に比較検討できる対象ではないのではないか、ということだった。なるほど、気付いてみれば当たり前だ。けれども、「日本人とスペイン人はどちらが滑舌が良いのだろう?」と考えていては意外と出てこない視点なのではないだろうか。たぶん。きっと。そうだといい。

 

こう考えていくと、「滑舌が良い悪い」というのは根本的にどういうことなのか、というのが自分の中でも幾分ぼやけてくる。上で書いた「比較検討できない」という考えに至るまでは、子音の連続がどうだとか、歯茎ふるえ音(スペイン語の「r」の音)なんて滑舌が良くなければ出せないだとか、一音節あたりの情報量がどうだとか、いろいろと考えてみたりもしたのだけど、結局のところ確固たる答えなど得られそうもない。

 

考えてみると、「滑舌が良い悪い」というのは、「喋りたい言葉(単語・文章)をどれだけきちんと発声(発音)できるか」ということなのだから、そもそも「喋りたい言葉」が違う外国人同士では比較のしようがないのである。

 

つまり、大和民族とラテン人ではどちらが滑舌が良いのかなどという問いは、前提となる実験サンプルが用意できない(お互いが日本語とスペイン語のネイティブとしてのバイリンガルでもない限り)ので、検証することはまず不可能であろう。

 

と、こんな毒にも薬にもならないことをつらつらと書いてみたけれども、所詮は素人に毛が生えた程度の議論しかできていないはずだという自覚が当然オレにもある。また、この「異言語間の滑舌」というテーマについて、もう少し深い知見があるなら是非とも知りたいところでもある。

 

そんなわけで、あまりの丸投げ感に自分でも笑えてくるけれども、こんなセリフで締めたいと思う。

 

教えて、偉い人!(笑)

 

 - 言語論