賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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「ラッスンゴレライの意味がわからない」という的外れな指摘

   

最近しばしば耳にする(目にする)「ラッスンゴレライのどこが面白いのかがわからない」という指摘について、少しばかり思うところがあったので、筆をとる(キーを叩く)ことにする。正直、皆ちょっと視点がずれているのではと思わずにはいられないからだ。

 

まあ、とりあえず、もし知らなければ一度こちらをご覧あれ。

 

8.6秒バズーカ―『ラッスンゴレライ』

 

さて、というわけで、まず、非常に根本的な事を言ってしまうと、そもそも「意味がないもの」の“意味”を理解できたとしたら、むしろその方が数倍おかしいのだ。

 

あの「ラッスンゴレライ」というネタは本人達も自覚している通り、「意味がわからない謎のワードを連発する」というものであって、それの「意味がわかる」というのは逆にどういう現象なのかと聞いてみたいところだ。

 

もちろん、「意味がわからない」という言葉は実際に純粋な疑問の意味だけで使っているわけではなくて、なんというかある種の“悪口”というか批判として言っている言葉なのだろうという事は理解できる。

 

けれども、ひとつここで重要な問題提起をしたいのだが、「果たして意味がわからないものはエンターテイメントとしてダメなのだろうか」という。もっと言えば、あなたは本当に「意味のわかるもの」でのみ心を動かされていると思っているのですかという話だ。

 

ひとまず、その例として一度こちらの動画を観て(聴いて)みてほしい。

 

Jim Bakkum『Door Jou』

 

これはイム・バックム(Jim Bakkum)というオランダのポップ歌手の『Door Jou』という楽曲のPVである。当然ながら、タイトルも歌詞も全編を通してオランダ語だ。つまり、我々のような普通の日本人には歌詞の意味は99%わからないはずである。

 

けれども、どうだろうか。普通に良い曲だと思わなかっただろうか。いや別に、好き嫌いは個人の主観によるところが大きいので良い曲だと思わなくてもまったく問題はないし文句もない。というより、言う資格など誰にもない。

 

しかし、もしこの曲を聴いて好きじゃないと思った人がいるとするなら、その人は“仮に日本語で意味のある歌詞でこの曲が歌われたとしても”おそらく好きにはならないであろう。これは間違いない。

 

つまり、その好き嫌いの判断基準として、「意味がわかるかどうか」はほとんど関係がない。

 

ここでは、話を単純化するために日本人がほとんど知らないであろうオランダ語を例に出したけれども、正直に言って、英語の歌詞で歌われている一般的な洋楽を好きな人達というのも実際には歌詞の意味なんてほとんどわかっていない。というか、気にしてすらいないはずである。

 

この点において、「意味がわからない」と「好きにならない」はイコールではない(というより、関係がない)という事に説明は付く。

 

さて、もう一点、重要な知見があるのだけど、それは、お笑い芸人のネタを観る場合に、我々はリアクションとして「笑う/笑わない」しか用意していない(できていない)というものがある。

 

これは意外と見落とされがちな罠だ。

 

例えば、上で書いた洋楽の例で言えば、聴いた感覚として「好き/嫌い」というか少なくとも「肯定的/否定的」という自分の中での評価が生まれてくる。しかし、通常それらを何らかの感情表現によってアウトプットしたりは別にしない。つまり、お笑い芸人に対するものとしての「リアクション」の部分が存在しないのだ。

 

ここに決定的な勘違いの正体がある。

 

どういう事か。つまり、昔から言われているように、「面白いから笑うんじゃない。笑うから面白いんだ」みたいな因果の逆転の話を持ち出すまでもなく、我々はお笑い芸人に対する肯定的な評価を全て「笑う」という行為によって表してしまう。実はそこに「面白いかどうか」などはもはや関係がなくなっているのだ。

 

特に「ラッスンゴレライ」のようないわゆる“リズム芸”と呼ばれるものの場合にはそれが非常に顕著で、まさに音楽を聴いて「好き/嫌い」を判断しているときのような脳内処理が起こる。

 

感覚的に肯定する→芸人に対する肯定的評価だから笑う→「面白い」という言葉で評価する

 

「ラッスンゴレライ」を「面白い」と評価している人達の思考はおそらくこのルートをたどっているのだろう。だからこそ、あれを好きになれない人は、逆に、

 

感覚的に否定する→芸人に対する否定的評価だから笑わない→「面白くない」と表現する

 

となる。しかも、実は論理的に面白い事など最初からひとつも言っていないわけだから、ますます「意味がわからない」という評価になる。(そこに対してオレは「だから意味なんて最初からないんだ」と主張している)

 

さて、何やら長くなったのでまとめると、「そもそも意味なんてないのだからわからなくて当然だ。むしろわかる方がおかしい」というのが一点。そして、「意味がわかるかどうかと好き嫌いは関係ない」というのが次の指摘。さらに、「芸人に対する我々のリアクションが固定化されている」からこそ「勘違いが起こる」というのが結論である。

 

いかがだっただろうか。

 

賛否両論は別にどちらでも良いのだけど、なんというか、ある種の“知的な読み物(コラム)”としてきちんと成り立っている事を願う。

 

え、つまらないからもう読んでくれないって?

イヤ、チョト待ッテ、チョト待ッテ、ヲ兄サ~ン!

 

 - メディア論