賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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逸脱のすゝめ

   

明確にいつからだったのかというのはよく覚えていないが、オレはいわゆる「普通」であることを極端に嫌うようになった。それはもはや嫌悪と言ってもいいかもしれない。なぜそのような思考というか感性を持つに至ったのか、はっきり明確な理由は思い浮かばないけれども。

 

ただ、気付いた時には、何かしらの逸脱を望んでいたし、他人と違う事にも全く抵抗がなかった。

 

勘違いさせたくないのであらかじめ断っておくけど、オレは別に極端なコミュニケーション障害とかでは全くないし、集団の中で異物として腫れもの扱いされたというようなことも全くない。優れた友人もちゃんと数多くいる。

 

オレの特殊な感性というのはあくまで自分の内側だけの話で、他人の考えが全く理解できないだとか、オレの考えは誰からも理解されないなどといったことは別にない。

 

多少イメージが掴みにくいであろうことを書いているという自覚はあるけれども、すごく乱暴に言えば、狂いたいと思っているが故にまだ狂いきれていない自分をどこかで認識しているというか、普通でいたくないという発想がそもそも自分が普通であることを否応なしに定義づけているというか。

 

いや、余計にわかりにくくなっているので単純化すると、オレの持つ狂気は先天的で取り返しのつかない類のものでは別になくて、後天的に自分で望んで獲得したものだという事だ。だから、根底には基本的に理性がきちんとあるというわけである。

 

まあ、そんなオレだったから、本当に昔から他人と違うことに抵抗がなかった。また、基本的に一人でいることにも全く抵抗がない。

 

これは、よくある漫画のキャラクターなんかで、友達がいないことへの負け惜しみ的に同様の主張をすることがあるけれども、オレの場合はそういう性質のものではない。何故なら友達はかなりいるからだ(笑)

 

だから、なんというか、仲間とつるんでバカ騒ぎすることも、一人で黙々と思索にふけることもオレにとっては等しく価値のある時間だと思っている。

 

嫌われたらどうしよう、みたいな心配もしたことがない。なぜなら、「人は好きなことをしているときが一番魅力的だ」などと言われるけれども、それはかなりの場合において真理であろうし、であれば、常に好き勝手に人生を楽しんでいる自分に魅力がないわけがないというある種のナルシシズム的な思考によるものだった。

 

まあ、他人の目というか評価を気にしないことにかけては天下一品のオレなので根本的に他人から嫌われることを恐れるという思考が備わっていないのだと思うけれども(笑)

 

さて、結局、何の話をしたいのかというと、もっとみんな好き勝手に生きたらどうなんだという事を強く言いたい。

 

簡単にいうと、もっと常識らしきものから逸脱しろと。何を懸念してそんなに縮こまっているのかと。

 

もっと好き勝手に生きた方が絶対にその人にとって良き人生になるとオレは思うのだが。

 

たとえば、いい高校に行き、いい大学を出て、いい会社に就職するという、この王道ルートは果たして良き人生と言えるのかという事だ。

 

たとえば、スポーツ選手やら芸能人やらクリエイターやら、どう考えても好き勝手に好きなことだけ極めた人間の方が人生楽しそうだと思うが。

 

「そんなふうになれるのは一握りだから」

 

確かにそうなのだろう。事実であり真実でもある。

 

しかし、そうであるなら、一握りではない、どこにでもいる人間になって良いとでもいうつもりか。

 

もっと悪意を込めて言おう。

 

物語の中で名前すら出てこない背景キャラになるつもりか。

 

主人公になることはそう簡単でなくとも、せめて物語のなかに不可欠な重要人物になりたいと望まないのか。

 

一体、誰の人生だと思っているのか。

 

他人に簡単に脳ミソを預け過ぎている感がありありと見える。

 

生きていない。

 

そう、まさに生きていない。

 

生命体として、あるいは動物としてはもちろん生きているが、人間としては生きているとは到底言えないのではないか。

 

そんな若者の無力感のようなものに少しでも警鐘を鳴らしたいと思ってこんな説教くさい事を書いているわけだけども、どれくらい理解してもらえているのだろうか。

 

まあ、ともあれ、自分の人生に対してこれでもかとばかりに誠実に向き合うという姿勢はどうあがこうが生きている限り非常に重要かつ決して避けられないものなので、是非とも何かの縁でこの記事まで辿り着いてくれたあなたには深く深く考えて欲しいと思う次第である。

 

 - 人生設計