賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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概念の棲み分けが脳内で適切にできているか

   

言葉(より正確に言えば単語)というものは、それぞれに固有の意味を持っている。この事には誰も異論などないだろう。けれども、その「固有の意味を持っている」という事の本質的な意味を理解している人というのは実は意外と少ないのではないかなと個人的には思っている。

 

言葉というのは概念を規定して他者と共有するためのツールである。つまり、他者ときちんとコミュニケーションするためには、頭の中にある概念を言葉によって適切に表現していかなければならない。

 

しかし、実は、意外にも、この能力というのは習得が難しいものであるらしい。「難しい」というのは訓練にある程度の手間と時間がかかってしまうという意味である。知人との会話やTVなどで目にする発言なんかでも、意外ときちんとできていない場合が多いなと感じるからだ。

 

もちろん、日常生活レベルの会話ではこんな複雑な脳内処理は必要ない。けれども、少し抽象度の高い議論や知的に意義のある対話をする場合には絶対に身に付けておかねばならない必須スキルだと言えるだろう。

 

さて、冒頭の「言葉は固有の意味を持っている」という事の意味を説明しよう。命題論理学や記号論理学なんかに慣れ親しんでいる人(そんな人は滅多にいないがw)には幾分わかりやすいだろうけれども、大雑把に言えば、何かが「Aである」という事の意味は「Bでもなく、Cでもなく、Dでもなく、Eでもなく、Fでもなく、……、Zでもなく、Aである」という事である。つまり、「Aであって、かつA以外でもある」などという事は絶対にありえないわけだ。

 

タイトルの「概念の棲み分けが脳内で適切にできている」というのは、上のような、ある言葉(単語・文章・フレーズ)が持つ概念同士の関係性をきちんと理解しているという事である。

 

例えば、「空が青い」という言葉を受け取った瞬間に、「空は、赤でもなく、緑でもなく、黄色でもなく、オレンジでもなく、紫でもなく、……、他のどの色でもなく、青である」というような構造がパッと頭の中で思い浮かぶようになればなかなかのものだ。

 

言葉遣いというものには個々人それぞれの感性が如実に反映される。今までに数多く触れた文法・語法のパターンや語彙、はたまたイントネーションや速さなど、様々な事象にとても影響を受けるのだ。しかし、それ故に、その過去の経験や思考が、いざ言葉というものを認識する際には常にバイアスをかけてくる。

 

例えば、泳ぐ事が好きな人は、「海ってさ――」というフレーズで始まる会話は無意識に楽しいものだと認識してしまうかもしれない。けれども、客観的に考えてみると、「海」という概念には実は「快/不快」の感情はまったく関係がない。当たり前だが。

 

ここでは話を理解しやすくするために単純化した例を出したけれども、そういった過去から連綿と続く自分自身の感性というものには常に引っ張られるものなのだという事をまずは理解すると良い。その上で、そういう無意識ともいえる主観的な判断に流されないようにするために、脳内で概念の棲み分けをきちんとしておこうという話だ。

 

訓練としては、普段から言葉が持つ意味というものに対してきちんと誠実に向き合うという事を意識すると良い。もはや辞書を持ち歩くぐらいでも構わない。(決して辞書はいかなる場合にも絶対に正しいと思っているわけではないが)

 

何事も日々の積み重ねである。言葉(単語)ひとつひとつが本質的にどのような意味を持ち得るのか、そして持ち得ないのか。そいった、丁寧に言葉に向き合う姿勢がとても大切だ。

 

個人的な感覚では、脳内に漠然とある概念をきちんと適切に言語化する事は非常に心地の良い行為である。是非とも、概念の棲み分けを脳内で適切に行って、自由自在に言葉と概念を結びつける事ができる、そんな境地に至ってほしい。

 

 - 言語論