賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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格差を指摘するのはいつも負け組

   

世の中には実に様々な格差がある。けれども、あらゆる格差に起因する問題というのは究極的には所得(資産)の格差というものに収束させる事ができるだろう。別に「世の中お金だよね」という主張に賛成か反対かの問題ではない。現実としてそうなのである。

 

というよりも、もっと正確に言えば、所得(資産)の格差というものが社会的に最も議論されやすい“題材”だという事だ。

 

さて、貧乏人はいつの時代でも被害妄想だけは一人前だ。「金持ち=悪いヤツ」という、どこかで聞いてきたような方程式を振りかざして負け惜しみの遠吠えをする。弱い犬ほど何とやらとはまさにこの事である。

 

まあそんな皮肉はどうでも良いのだけど、いずれにしても格差というものを指摘して、その改善を迫るというのは、いつも格差のうちの下側の層、つまり負け組のする事だ。いや、正確には格差に対する不満を上側の層にぶつけた瞬間に負け組となるのだ。本来、その不満は自らの内に秘めて静かに燃やしておくべきものなのに。

 

フランスの経済学者、トマ・ピケティの著作(というか経済理論)が少し前に話題になった。その主張の細かい原理や考え方は調べればいくらでも出てくるので、本記事でわざわざ書くまでもない(というより、およそ読むに値しない)けれども、すごく大雑把に言えば、結局のところあれが言いたい事はただの「資本主義的な発展の否定」である。極めて左翼的だ。アホかと思う。

 

と、そんな悪口が本題なのではなくて、オレが言いたいのは、あの本を読んで感銘を受けたり共感したりするような層というのは確実に富裕層ではないだろうなという事だ。少し考えれば当然だ。何故なら「富裕層から金を奪い取れ」という主張に富裕層が賛成するわけがない。

 

まあ、別にトマ・ピケティ自身が個人として負け組なわけではない事は普通に理解できる。仮にも大学教授だ。けれども、そういう主張の根底に流れる思想というものがそもそも勝ち組的ではないし、ましてやその著作を読んで共感しているような層は間違いなく格差の下側の層だろう。

 

結局、何が言いたいのか。

 

ものすごく雑に言えば、「格差を嘆いている暇があったら自分でさっさと努力しろ」という事だ。

 

共産主義という思想は、全ての産業の成果を全て国民に平等に分配するという考え方である。つまり、個々人の仕事のクオリティが報酬に直接的には反映されない事になる。そうなれば、当然ながら、ずる賢くサボる層というのが一定の割合で必ず出てくる。

 

さて、そうなったとき、真っ先にサボり出すのは一体どの層だろうか。

 

答えは明確だ。格差を是正しろ、平等を担保しろ、そう主張している人間こそが、いざそうなったら真っ先にサボり出す。これは目に見えている。何故なら自由競争が許されているような現在のシステムですら頑張れないのだから。

 

クズはおとなしくしておけ。

もしくはクズじゃなくなる努力をしろ。

それすらしない人間が格差を指摘するなど100万年早い。

被害妄想と他力本願は今すぐゴミ箱に捨てておけ。

 

自分ときちんと向き合って、誠実に現状を認識して、懸命に努力する。

結局のところ、生きている限り、この道しか選びようがないのだから。

 

 - 思考