賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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小さな狂気を積み重ねる

   

平凡なアイデアを平凡な切り口で行えば、当然ながら平凡な結果しか生まない。そんな「当たり前」から何とか脱するために、少しでも他者とは異なる刺激を自らの内に与え続けなくてはならない。変化こそが唯一の救いであり、その変化は大きければ大きいほど良い。

 

一般的に、人は「他者とは違う何者かになりたい」と心のどこかでは思っている。本音と建て前みたいな古臭い話を持ち出すまでもなく、量産型のロボットに自ら進んでなろうと望む人など当然いないはずだからだ。

 

けれども、いざ実際に、様々な局面で他者と異なる行動を本当に選択するのかというと、意外とそうではない。それどころか、他者(との関係において成り立つ集団の中の暗黙のルール)と自分が大きく異なる事を本音のところでは恐れている節すらあるのだ。

 

ここに、ある種の矛盾というか難しさがある。人は、何者かになりたいと望みながら、同時に、何者にもなれないような行動をとり続けるのである。ここに気付けぬまま、ほとんどの人は自分が本当は何者になりたいのかという、自分の内なる声を意識する事すらないままに死んでいく。当たり前だ。普通に仕事をして、普通に日常生活を送っていたら、そのうち寿命が来てしまう。まさに、世の中のほとんどの人々は“大衆”として一生を終えるのである。

 

とはいえ、解決策はある。少なくとも、このままではいけないとあなたが思えたとしたら、その日から、とても簡単に実践できるような方法論である。

 

それこそがまさに、タイトルにもあるように、少しずつ、少しずつ、他者とは異なるおかしな行動を選んで積み重ねていくという事だ。「おかしな行動」という言葉の定義は、「自分の中の常識的な判断とは逆の行動」といった感じか。

 

世の中で、いわゆる著名人などに代表されるような「何者かである」人々というのは、どこか“大衆”とは違っている。(まあ厳密には、世間的に著名人である必要は別にないのだけど、著名人ではない「何者か」なんて普通に生きていたらその存在を知る事もないので分析の対象にはできない)

 

こうした人々と我々(一般人)との違いを生むものは何なのか。

 

身も蓋もないようだが、「違いを生むもの」とは結局のところ、まさに「違い」に他ならない。地道に日々の「違い」を積み重ねていく。それがやがて大きな「価値」になるのだ。

 

世の中には、スティーブ・ジョブズなどに代表されるような、生まれ持った狂気をいかんなく発揮して社会に大きな影響を与えていく人物もいる。ジョブズなんて本当に、才能とか努力とかセンスとか、そういう問題ではない。ただ純粋に「狂気」の産物である。

 

まあ我々のような一般人があのレベルにまで至れるのか(というより、目指したいのか)というのはかなり疑問ではあるが、あんなバケモノのレベルまで至る必要はまったくない。

 

世の中のほとんどの人は、真に自分の人生を生きる事などないままに死んでいくのだ。そこから少しでも目を醒まし、きちんと自分と向き合うのだと決めたとき、あなたはきっと自分の行動基準や感性が他者と同じでは満足できなくなる。

 

これだけ変化の早い現代においては、普通であることがもはや致命傷になりかねない。外部環境が目まぐるしく変わっていくのに、自分だけはそのままでいられるはずがないからだ。いかに他者と異なるか。いかにイカレているか。そういう事が真の意味で重要になってくる。

 

その第一歩として、毎日の中で、少しずつ、小さな狂気を積み重ねていく事が鍵になるだろう。

 

 - 思考