賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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藤原祐の魅力を誰よりも熱く語る

   

本記事は、オレが最も好きな小説家である藤原祐の魅力を有り余るリスペクトでもって誰よりも熱く語る、ただそれだけの記事である。ライトノベル読者というのは数多いけれども、これほどまでに藤原祐を推しまくるのはオレぐらいだろう。たぶん。きっと。そうだといい。

 

さて、Google大先生に代表されるような検索エンジンで「藤原祐」と検索してみると、まずはその情報量の少なさになんとも悲しくなってくる。更には、そうして出てくる情報というものが「現在における藤原祐」ひいては「検索者が真に知るべき藤原祐」というものを適切に伝えているとは到底思えない。

 

そこで、もはや桐峰矜がWikipediaの編集者(投稿者)になったつもりで、藤原祐の魅力がきちんと伝わるように紹介と解説を僭越ながら書かせて頂こうと思う(笑)

 

【以下、「藤原祐 – Wikipedia」(by 桐峰矜)】

藤原祐

藤原 祐(ふじわら ゆう、1978年8月15日 – )は、日本のライトノベル作家。大分県生まれ。大分県在住。

・人物

ペンネームは本名をもとにアレンジしたもので、「祐」という文字は本名にも使われている。

大分大学 教育福祉科学部 卒業。小,中,高の国語の教員免許を取得している。

2002年に『ルナティック・ムーン』で第9回電撃ゲーム小説大賞(現・電撃小説大賞)の最終選考に残る。同作品を加筆修正し、2003年9月に、電撃文庫より『ルナティック・ムーン』で作家デビュー。

デビュー直後は会社員との兼業だったが、数年後、怪我による人院で長期休職した事をきっかけに、そのまま専業作家となった。

殺伐とした世界観で登場人物が容赦無く死亡するようなダークファンタジーや、現代を舞台にしたSF的な要素のある凄惨な戦いを学園モノとの絶妙な融合によって描く作風が主な特徴。

しかし、その根底に流れる本質は常に「人と人との愛・繋がり・絆」といった崇高な理念であり、どの作品においてもそういったテーマを誠実に描いている。

非常に精緻かつ洗練された文章能力を持っており、その卓越した日本語表現のセンスは読者からはもちろん、同業者からも非常に評価が高い。とりわけ、多くの作品において各章のタイトルが絶賛されている。

かつて、そのダークな作風やあとがき(および自サイト)等での陰惨な発言の数々から「電撃の黒い太陽」という異名を持っていた。(現在ではあまり呼ばれていない)

同業者の浅井ラボを総長とする「全日本暗黒ライトノベル連合」の特攻隊帳という役職を担っていた。(もちろんネタであって特に目立った活動などはない)

主な趣味は写真と音楽。カメラは主にニコンの製品を好む。好きな音楽ジャンルは主に広い意味での英国系ロックだが、その他にも邦楽・洋楽を問わず幅広く聴き込んでいる。

電撃文庫の作家では主に、新人賞の同期である成田良悟や、比較的近い作風の水瀬葉月や、音楽の趣味が合う蒼山サグなどと仲が良い。

・作品リスト(随時更新)

『ルナティック・ムーン』(イラスト:椋本夏夜 全5巻)
『レジンキャストミルク』(イラスト:椋本夏夜 本編8巻 + 外伝2巻)
『アカイロ/ロマンス』(イラスト:椋本夏夜 全6巻)
『煉獄姫』(イラスト:kaya8 全6巻)
『@HOME』(イラスト:山根真人 既刊3巻)
『ロストウィッチ・ブライドマジカル』(イラスト:椋本夏夜 既刊2巻)
『鮮血のエルフ』(イラスト:kona 既刊2巻)

・外部リンク

Twitter – 藤原祐 (@fujiwarayu)

【以上、「藤原祐 – Wikipedia」(by 桐峰矜)】

 

さて、オレがもしWikipediaの編集者(投稿者)だったらこのように書くだろう。どうだろうか。ところどころオレ自身の主観というか希望的観測のようなものが紛れ込んでいる気もするけれども(笑)

 

とにかく、今後、善意の誰かがWikipediaの「藤原祐」の項を編集する際にはこの上の記述をコピペしてもらっても構わない。というか、むしろオレにとっては名誉なことである。

 

まあ、ともあれ、本当にもっともっと評価されて然るべき作家だと思うのだけど、どうにも市場の認識としてはそうではないらしい。とても残念な事だ。

 

本当に、まずラノベ作家にしておくのがもったいないぐらい文章が上手い。これは決して、決して、決して、ラノベというものを下に見てバカにしているわけではまったくない。単純に、オレの言いたい事のニュアンスが最も良く伝わりやすいであろう比喩としての言葉を選んだのだと理解してほしい。

 

まあでも、実際のところ、純文学に近ければ近いほど本当に文章が上手くて日本語が綺麗なのかと言えば、別にそんな事はまったくないので、この比喩自体が意味をなさない気もするけど(笑)

 

それはともかく、本当に文章の美しさ・リズムの良さというものは一級品なので、せっかく日本語のネイティブとして生まれたからには、一度ぐらいは味わってみてほしい。是非。そこまで大袈裟な事を言いたくなるほどに、本当に素晴らしいのだ。

 

というわけで、藤原祐が「文章」というものに対してどのような考えを持っているのかという事が非常に良くわかるツイートが幾つかあるので、以下に紹介する。

 

 

さらに本質的なのが以下。

 

 

そして、こちらは書き手としてのスタンスが非常に明確に表れたもの。

 

 

さらに、これだけの強いこだわりを持っていながら、決して押しつけがましくはない。

 

 

改めて、論理の整合性というものを非常に重要視しているのだなと感じる。確かに、『鮮血のエルフ』の前文なんかは、あまりにも論理的すぎて、ある種の知的感動すら覚えた。どこぞの哲学書の序文かと思うレベルだ(笑)

 

そしてもちろん、凄いのは文章だけではない。シナリオの方向性や一見して抱く印象については、当然ながら好みの問題なので、非常に評価の分かれるところだろう。というより、大衆にはあまり評価されていない。けれども、そんな表面的に誰でもわかるような要素を全て取り払ったその先にこそ、藤原祐の作風というものの本質がある。

 

ちょうど本人のツイートに、そのあたりの考えを述べたものが幾つかあるので紹介。

 

 

この「本当の個性」というのは、まさに「個性」というもののイデアというか、あくまで「何となく感じ取れるもの」といった感じの漠然とした概念なので、明確に言語化する事は非常に難しい。

 

しかし、ある意味では、それを決める事は我々(つまり読者)に許された権利でもあると思う。もし仮に、著者本人が「俺の個性とはこういうものだ!」と鼻息荒く主張したとしても、読者の側がそれを受け入れる義務などない。あくまで物語とは受け取り手があって初めて存在するのだという前提に立つなら、「藤原祐の本質的な個性」というものは我々(読者)にこそ、その定義づけをする権利があるのだと言えるだろう。

 

その崇高な役目を僭越ながら引き受けるとするなら、オレの解釈は明確だ。

 

藤原祐の作品における本質とは、そう、まさに「愛」である。抽象的な意味での「愛」。概念としての「愛」。その対象は純粋な意味での「人間」に限らない。いずれにしても、「愛」である。「対象を真心でもって思いやる気持ち」と言い換えても良い。そういう理念というものがすべての作品の根底に描かれている。

 

ある者は、「愛」ゆえに許す。ある者は、「愛」ゆえに裏切る。ある者は、「愛」ゆえに受け入れる。ある者は、「愛」ゆえに寄り添う。ある者は、「愛」ゆえに過つ。ある者は、「愛」ゆえに捨てる。ある者は、「愛」ゆえに守る。ある者は、「愛」ゆえに死ぬ。ある者は、「愛」ゆえに受け継ぐ。ある者は、「愛」ゆえに壊す。ある者は、「愛」ゆえに痛む。ある者は、「愛」ゆえに生きる。

 

個々の発露はもちろん様々だけれども、根底には常に「愛」がある。

 

思うに、ここが水瀬葉月とは決定的に違う点なのだろうなと。お互いに、表面的な作風は非常に近いものがあるのだけど、水瀬葉月の作品はどちらかというと本質が「狂気」であって、それを「萌え」というオブラートで包んでいるに過ぎない。(そして、多くの場合まったく包み隠せていないが)

 

それに対して、藤原祐の作品というのは「狂気」という幾層にも及ぶ通過儀礼を乗り越えたその奥深くに「愛」という核がある。もちろん、オレ自身は水瀬葉月も普通に好きなのだけど、やはり藤原祐の方がオレの中では頭ひとつ抜けている。

 

「愛」というものを誠実に描くという事こそが藤原祐の作風の本質だからこそ、それが表層的にも理解しやすい形で表現された『アカイロ/ロマンス』をオレはある種の完成形であると思っているし、同時に、藤原祐作品の最高傑作だと思っている。オレが基本的に初見の入門者に最初に薦めるのはこの作品である。非常に美しい「愛」がそこには描かれている。

 

さて、けっこう長くいろいろと書き連ねてきたけれども、そもそも何故オレがここまで藤原祐にハマって推しまくるようになったのか、その経緯を最後に書いておこうと思う。

 

ちなみに、実はオレが初めて読んだラノベは藤原祐の作品というわけでは別にない。これだけ熱く語っておいて意外かもしれないが(笑)

 

始まりは2009年の夏頃である。ちょうど、割とラノベを数多く読むようになった時期があった。そしてオレは元々、あらゆる意味での創作の「創り手」に非常に興味があったので、その頃ラノベ業界の全体像のようなものを漠然とでも把握しようと思って、様々な作家のTwitterを追っていた。

 

そうして、半年ほど経ったある時、当時の二次元業界では少しばかり物議を醸した「非実在青少年に関する条例」に関する話題が幾つもTLを駆け巡った。その件について、多くの作家や業界関係者は、何というか、あえて言葉を選ばずに言うなら、揃いも揃ってしょーもねー事しか言っていなかった。どう「しょーもねー」のかというのはまあ説明が難しいのだけど、大雑把にまとめると、「何らかの不利益な状況を他者のせいにして喚いているだけ」にしかオレには思えなかったのだ。

 

そんな中で、きちんと自分の立場というものを明確に示し、その行動指針をきちんと貫こうとする人々がいた。その一人が、まさに藤原祐だったのである。

 

以下は、当時の現状に対する考え方を示したツイートである。

 

 

この一連のツイートを読んだとき、「オレはこの人の本を読まなくてはいけない」という衝動に突き動かされた。これほどまでに自分のアーティストとしての在り方に誠実である人の作品なら、きっと魂がこもったものであるに違いない。そう思ったオレは本屋に走り、『ルナティック・ムーン』全5巻をその場でいきなり購入した。

 

その後、どうなったかは言うまでもない。その当時、発売していた『アカイロ/ロマンス』第6巻までの全著作21冊が自宅の本棚に揃うまで、1ヶ月とかからなかった。

 

そうして、無事に今では最新刊の『鮮血のエルフ』まですべて楽しませてもらっている次第である。

 

この話を何人かの友人にした事があるけれども、誰もが「なんて珍しいケースなんだ」と驚く。一般的に、知人の口コミや書店での表紙買いなどが新規読者のルートとして最も多いらしいが、まさかの著者本人のツイートに感銘を受けてファンになるという。つまり、当時のオレは著作をまだ一冊も読んでいなかったのに「小説家としての藤原祐」のファンになっていたという事だ。(もちろん読んだ結果としてつまらなければ一瞬で離れていくだろうが)

 

さて、かなり熱のこもった感じになってしまったけれども、いかがだろうか。

 

このご時世、何かを買うにはまず他者の評判をネットで確認してみるという。そんな中で、本記事が新規読者の獲得、ひいては既存読者のさらなるコミットメントの向上に貢献できたとするなら、これほど喜ばしい事はない。

 

現在、『@HOME』と『ロストウィッチ・ブライドマジカル』は未完のまま刊行がストップしてしまっている。オレには業界の内部の事はわかるはずもないので、どういった数字がどの程度の影響力を持つのかというのは知りようもない。けれども、少なくとも、「藤原祐」という“ブランド”がもっともっと市場で評価されていけば、いずれは編集部も無視はできなくなるはずだ。

 

そんな“不純な”願いも幾ばくか込めながら、本記事を締めようと思う。

 

ちなみに、『鮮血のエルフ』は100万冊くらい売れてアニメ化される。

 

たぶん。きっと。そうだといい。

 

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