賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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日本の大学生は就職活動が近づくと急激に人間的な魅力を失っていく

   

出会った頃は最高に面白かったはずのアイツが、大学も4年生になってくると途端につまらなくなってきてしまう。そんな経験をしたことはないだろうか。いや、あるいは今この記事を読んでくれているあなたがまさに「つまらない人間」になってしまった側なのかもしれない。

 

思えば、こういった現象(?)というのは何も大学生に限った話では別になくて、割と年齢の低い頃からあったような気もする。

 

例えば、中学生の頃を思い出してみると、3年生の初期まではいろいろと好き放題にやってきたようなヤツに限って、高校受験が近づくと急に内申点や模試の成績などを気にし始める。

 

高校も同じだ。大学受験(あるいは就職試験)が近づくにつれて、どうにも思考や言動が“現実的な”ものになってきてしまう。(わざわざ二重引用符を使っている事の意味が桐峰矜の読者なら理解できるだろう)

 

あるいは、もっと極端な例で言えば、幼稚園の頃から親の“教育方針”によって、いわゆる「お受験」の世界に入れられて、本来の子供としてのあるべき姿を完全に失ってしまっているようなケースもある。個人的には、そういった子供にはどこか言いようのない気持ち悪さのようなものを感じてしまう。(わざわざ二重引用符を以下略)

 

いずれにしても、こうして社会によってありがたく用意されたレールの上を無批判に進む事を選んだとき(実際には、自分の足で道を切り拓く事を諦めたとき)、人は急速に人間的な魅力を失っていくのである。

 

中二病という言葉を聞いた事があるだろうか。これは非常に解釈の幅が広い単語なのだけど、ひとまずここでは、「思春期に特有の全能感」とでも定義しておこう。漫画やアニメなどでしばしば描かれる「例のあの感じ」も抽象的に言えばこの定義の範疇である。

 

そして、そこから派生する形で、高二病、大二病、社二病というものがある。人の心はその年代に応じて全能感と無力感を歪んだ形で繰り返すのだという発想からこれらは生まれたのだと思うが、個人的には非常にわかりやすい分類だ。

 

すなわち、中二病とは上でも書いた通り、「思春期に特有の全能感」である。そして、高二病とは、少し大人になって現実が見えてきた者が、ある種のニヒリズム的な感性でもって世の中を冷めた目で見るような態度の事である。彼らはむしろ積極的に中二病的な在り方を嫌う傾向にある。

 

そして、その無力感が行き着くところまで行ってしまうと、もはや一周回って「自分達が楽しめる事だけ好き勝手に楽しめば良い」という、ある種の相対主義的な開き直りの境地に至る。この状態が大二病である。表面的には中二病に近い悪ふざけだが、それを自覚しながら演じているとも言える。

 

そして、最後が社二病である。これこそが、今回の記事タイトルでもある「人間的な魅力を失っていく」まさにその行き先のことだ。全能感などは当然ながら言うに及ばず、「痛い」と自覚しながらも確信犯的に日々を楽しむという事すらも諦めたロボット状態である。聞き慣れた言葉で言うなら、「社畜」が近いかもしれない。

 

この領域に、いとも簡単に足を踏み入れて行く人間が多すぎる。それも、あまりにも無批判にである。この時点まで、生まれてから約20年と少し。そして、その後、定年退職するまで約40年と少しである。

 

何だ、その人生……?

 

ハツラツと元気に満ちていたのは生まれてからの約20年かそこらまでで、そこからおっさんおばさんになって定年退職を迎えるまでが約40年以上もある。単純に、今までの楽しかった日々の2倍もつまらない日々が続くという事になる。

 

正気か……?

 

オレは別に、一般的なサラリーマンとして生きていく事を否定しているわけではまったくない。けれども、ここでオレが言いたいのは、「本当に、それは自分の心の内から自然と出てきた意思決定なのか?」という事だ。

 

世の中には、仮に会社員であっても、自分が勤めている企業、ひいては自分の担当業務を心から愛し、やりがいを持って仕事に取り組んでいる人が一定数いる。それは確かであって、もしそうなら素晴らしい事だ。その人にとってはその仕事がまさに天職なのだろう。そして、そういう人はオレが本記事で言っているような「魅力を失った人」では決してない。

 

けれども、そんな人が果たしてどれくらい、実際にはいるのだろうか。

 

少なくとも、オレ自身がこれまで出会ってきた就活生には、未来への希望に目を輝かせてハツラツとした魅力的な人間はほとんどいなかった。もはや皆無と言っても良い。

 

もちろん、オレ自身、あらゆる大学の就職活動の現場を見てきたわけではない。その意味では、本記事はまったくの主観的な妄想であって、何の意味もない駄文である可能性もある。けれども、少なくとも、わざわざここまで読んでくれたあなたにとっては、意味のある実感としての記事だったのだろう。

 

オレ自身は大学受験の際に浪人している事もあって、同年代の友人達が一足先に就職活動に身を投じていくのを近くで見てきて、「やはりこのシステムは何かがおかしい」と漠然と思うようになったというのも、今この生き方を選んでいる理由のひとつだったりする。

 

長々と述べてきたけれども、結局のところ結論はいつもと同じである。

 

すなわち、誰しもきちんと自分で自分の人生をどう生きるのか責任を持って決断するべきであって、それができている人間には自ずと魅力があるように思える。

 

逆に、「誰か」が用意した人生を歩んでいるうちは、その人自身としての固有の魅力など決して見えてこないのではないだろうか。

 

これからの時代、そのような安物の化けの皮は容易に剥がれてしまうと思った方が賢明だろう。

 

 - 人生設計