賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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和佐大輔について

   

たまには気分を変えて、インターネット起業家の和佐大輔について少しばかり思うところを語ってみようと思う。昨今の日本人によくありがちな「頑張っている感」に決して逃げることなく、淡々と当たり前のように異常な事を成し遂げていく姿には、もはや好き嫌いとはまた別次元で非常に強い興味がある。

 

さて、和佐大輔の事をまったく知らない人のために少しだけ説明しておくと、

 

「13歳の時に海に飛び込んだらテトラポットに頭から激突」
「首の骨を圧迫骨折するも奇跡的に生還し車椅子の生活へ」
「つまらないからという理由で高校を中退して起業」
「半身不随ながらわずか17歳で年収1億円を稼ぐ」
「ビジネス書などは一切読まず実践と試行錯誤のみで成功する」

 

といったようなフレーズで端的に表せるように、この和佐大輔という人は完全なる天才、あるいは変態である(笑)

 

とにかくすべてが異常。

 

それは決して、このような経歴の特殊さだけの話ではなくて、彼のメルマガやその他のメディアでの発言や行動を少し観察してみると、なんというか、本当に、「意味がわからない」のである。

 

どのくらい意味がわからないのかというのは、ちょっとこのひとつの記事で書ききれるものではないので、また別の機会にでも書いていきたいところだけれども、その「意味不明さ」という点において個人的にもっとも特徴的だと思うのは、「努力量と成果がきちんと対応していない」という点である。もちろん「努力量≪≪≪≪成果」といった感じの意味で。

 

いや、この言い方ではちょっと語弊があるかもしれない。確かに、これだけ多くの成果が出ている以上、努力していないわけでは当然ないのだろう。なんというか、あくまで外から見ている限りにおいては。

 

けれども、「その努力で何故その結果に結びつくのか?」というような不思議さがどうしても拭いきれないのである。

 

いわば、「努力の質」が一般常識とかけ離れすぎていて、常人には理解しがたいというか。端的に、「練習していないはずの事がなぜ本番でいきなりできるのか」みたいな印象を受ける。

 

だから例えば、もし和佐大輔に憧れて、自分が目指す対象として見た場合には、非常に真似しにくい対象であるように思える。というより、どこを真似したらああなれるのかが皆目見当もつかない。まあ大前提として、そんな酔狂な人がいるのかどうかは甚だ疑わしいけれども(笑)

 

さて、ところで、和佐大輔の話をするには、もはや暗黙のセット扱い(というか比較対象)として木坂健宣にも言及しておかねばならないだろう。

 

個人的な感覚を言えば、木坂健宣の方は決して“天才”ではないと思っている。彼の場合は、単純に努力量が異常なだけであって、もし仮に同じだけの努力量をこなすことができるのならば、ある程度は近い領域まで誰しも至れるのではないだろうかと思う。(実際にはあのレベルの努力量をあの期間内で実行する事はほぼ不可能と言って良いほど困難なのだが)

 

けれども、何度も言うように、和佐大輔に関しては本当に意味がわからない。いや、実は裏では死ぬほどビジネス書などを読み尽くしていて、あらゆる知識の習得に努めているのかもしれないが、まあその可能性はほとんどゼロだろう。

 

だからこそ、直接的な学びの対象としては決して適切ではないけれども、自分の中の常識というか前提を容易にぶっ壊してくれるという意味で、個人的に非常に強い関心を持って見ている存在である。

 

ちなみに、そんな和佐大輔のメルマガは以下から登録すると読むことができる。

 

http://www.3sha-re.com/aff/6362/15/30/

 

わずか17歳で1億円ものビジネスを生み出す人物というのが、一体どれだけ意味不明な世界観で生きているのかということを知りたければ読んでみるのも一興であろうと思う(笑)

 

 - 人物論