賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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成功者の言動は論理飛躍に満ちている

   

世の中には様々な自己啓発や成功哲学のようなものが溢れている。そうした書籍や教材の中で語られていることがピッタリと自分に当てはまる人がいて順当に人生を良きものにしていく一方で、そういったものを何冊読んでもイマイチ何も変わらないといったような人もいる。

 

この差を生むものは一体、何なのだろうか?

 

ひとつ、パッと簡単に思い浮かびそうな理由として、「著者がウソを書いて読者を騙そうとしているのではないか」という疑念があるかもしれない。まあ確かに、金儲けのために悪魔に魂を売ってしまったようなエセ成功者もいない事はないだろう。

 

けれども、そんな事を言い出したらキリがないというか、身も蓋もない言い方をすれば、情報の受け取り方というものを幼少期からきちんと訓練されていない我々には、その真偽を判断する事はできないのだ。非常に残念なことに。

 

だからこそ、ここでは一応、きちんと著者にとっての真実を誠実に書いているはずだという、ある種の性善説的な前提に立って考えてみようと思う。

 

さて、改めて、自己啓発や成功哲学が有効な人とそうでない人とを分かつ条件とは一体、何なのだろうか。

 

この問いを考えるにあたって、ひとつ注意深く認識しておかなければならないのが「因果関係」というものの扱い方である。

 

「因果関係」という言葉それ自体は誰しも聞いた事があるだろうし、漠然とした意味くらいは誰だって把握しているだろう。けれども、ではいざ実際に物事を正しい因果関係でもってきちんと認識する事ができるのかというと、これが意外とできていない人が多いように思える。まあ、これは「論理」というものに対する“慣れ”がある程度まで影響するので、訓練さえすれば誰でも一応できるようにはなるはずだが。

 

ともあれ、この「因果関係」の扱い方を間違えると、ドツボにはまってしまう。

 

簡単なところで言うなら、「成功者はみんな毎日○○する習慣があった」みたいなフレーズをしばしば見ることがある。多くの人はこれを見て、「じゃあ自分も今日から○○してみよう」と自動的に思ってしまう。けれども、この習慣とやらがもし仮に真実なのだとしても、我々が本来ここで取るべき論理的に正しいリアクションは「だから何?」である。

 

形式論理学みたいな堅苦しい話を持ち出すまでもなく、「PならばQ」だからといって、自動的に「QならばP」なんてことには別にならない。このあたりは論理学の体系ですでに示されているルールである。まあ慣習的にも「逆は必ずしも真ならず」といった言葉を聞いた事があるかもしれない。

 

ともかく、言われてみれば当たり前なのに、こういった刺激の強い話題の場合は特に、言語構造そのものよりも意味内容に引っ張られて勘違いしてしまう。

 

何故こうなるのかと言えば理由は単純で、その本人は、そもそも既に成功し終わってから過去を振り返ってみて、それらしき成功要因として成立しそうなものを選んで語っているだけだからである。そして、読み手の側は、何度も言うように真偽が判定できない以上は心情的に拒否感がなければ受け入れざるを得ない。

 

もちろん、書き手に悪意などは別にないのだろう。けれども、その姿勢は広い意味での教育者として求められる誠実さとは程遠いのではないかと個人的には思う。

 

そもそも「やってみたらできたんだからこれが正しいやり方じゃないのか?」と当たり前のように悪意なく本気でそう思っているところが、また余計に始末が悪い。我々のような凡夫が本質的に知りたいのは、まさにその「やってみた」という根拠であって、何故その行動を起こすに至ったのかという部分を説明してほしい。

 

けれども、多くの場合において、その根拠は説明されない。というより、正確には本人にも説明などできないのだ。何故なら、そこがまさに「論理飛躍」の部分であって、理性的に記述できるような思考のルートを通ってきていないからである。

 

論理的に説明ができない以上、その行動は正しいとも間違っているとも判断のしようがない。けれども、世の中で成功者と呼ばれる人々は多くの場合、目に見える「結果」だけはご立派である。

 

だからこそ、当然の心情として、お金持ちがお金の話をしていればそれは真実に聞こえてしまう。当然の心情として、イチローが野球の話をしていればそれは真実に聞こえてしまう。

 

もはや正しいも間違っているも関係なく、圧倒的な実績に裏打ちされた「説得力」だけがそこにあるのである。

 

結局のところ、そういった人々に「説得」されて彼らを信じてみるのもひとつの生き方だろう。それ自体を否定する気はない。けれども今後、あらゆる意味での情報や知識や方法論などに触れる場合、「説得力」と「正当性」は本質的には何も関係がないのだという事くらいは理解しておいた方が良いだろう。

 

そのうえで、どちらを選ぶのかはあなた次第である。

 

もしあなたが彼らの論理飛躍とピッタリ波長が合うのなら、先人達はあなたの人生をとても有意義なものに変えてくれるだろう。けれども、もしそうでないなら、自己啓発や成功哲学の類はあまり意味をなさない。

 

そんな(現実的じゃないという意味における)夢物語はさっさと卒業しよう。

 

 - 思考