賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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思慮の浅いミニマリストに天誅を

   

最近になってようやく、いわゆるミニマリストと呼ばれている人々に対して、そこはかとなく抱いていた嫌悪感の正体が朧気ながら自分の中で少し腑に落ちてきた気がする。と言いつつ、「ミニマリスト」という言葉を知ったの自体もかなり最近だったりするのだが(笑)

 

さて、それはともかく、彼らの多くは「必要最低限のもの以外は持たない」と主張する。しかしオレに言わせれば、その論点を極論まで突き詰めていくと、「そもそもお前の命ってそんなに必要なのか?」という話になってくる。

 

いささか身も蓋もない考え方だが、そもそも人間は普通に生きているだけでもかなりのコストがかかるわけで、それならもはや死んだ方が一番リスクもコストもかからないんじゃないかという事になってしまう。

 

その視点が完全に抜け落ちたまま、当たり前のように生きる事にだけは執着する。いわゆるミニマリスト達のそういった不完全さがどうにもオレには受け入れ難い。

 

結局のところ、「必要最低限かどうか」なんて主観でしかないわけで、極端な話をすれば、仮に100億円を持っていたとしても、当の本人としてはミニマルに生きているつもりなのかもしれない。それは外から見て判断できる事ではないのだ。

 

そういう「どうやったって突き詰められない論点」をまるできちんと考え抜いたかのごとく振る舞う、その安直な姿勢が端的に言えば気に入らない。真の意味でミニマリストになるには「生への執着」をこそまずは手放すべきであって、そこまで考えが至れないのにもかかわらずミニマリストを気取っているというのは単なる負け惜しみにしか思えない。

 

ちなみに、オレ自身はと言えば、まったくもってミニマリスト的ではない。例えば、もしブルガリのブレスレットが500万円などという頭のおかしい価格だったとしても、自分の感性に照らして気に入りさえすれば普通に購入する。まあただ、そういったモノをわざわざこれ見よがしに身に着けてセールス動画やLPなんかにドヤ顔で出てくるのはさすがに気持ちが悪いので如何なものかとは思うが。

 

いずれにしても、そういう意味で「生への執着」というものを決して手放せない以上、人間というのはどうしたって俗物なわけで、偉そうに「いらないものは持たない主義」などと言ってみたところで所詮は程度問題でしかないのである。

 

その絶対的に逃れられない制約というか前提の上で、いくらミニマリストを気取ってみたところで底が知れている。やはり、およそ好ましい精神性ではなかろうなと個人的には思ってしまうのである。

 

 - 思考