賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

*

「職業に貴賤なし」の真偽からもう一歩進んだ議論

   

「職業に貴賤なし」とはよく言われることである。そして、よく言われるからこそ常に賛否両論が巻き起こる題材でもある。しかし、オレ個人の感覚としては、職業に貴賤があろうがなかろうが別にどちらでも良い。そんな事に興味はない。というより、もっと考えるべき重要な論点がその先にある気がするのだ。

 

一般的に、「職業に貴賤なし」という言説が正しいと主張する側は極めて性善説的な前提に基づいているように思える。あるいは、イギリスなどでよく言われる「レイバーバリュー」のような概念を持ち出す人もいる。(「labor value」とは労働者階級にもそれぞれの価値観があって資本家階級の価値観が絶対的に正しいわけではないとする考え方)

 

一方で、世の中の現実をフェアに観察してみたときに、どうにも「貴賤なし」というには無理があると感じる人もいるだろう。確かに、貴賤がないにしてはあまりにも格差が大きいように思えるかもしれない。

 

あるいは、少し別の観点から、「職業の種類によって報酬の水準に偏りがある」という主張をする人もいる。これは、直接的に「職業に貴賤なし」の是非を論じているわけではないけれども、心情的にはやはり「職業に貴賤なし」という言説には賛成できていないのだろう。

 

まあ、そんなふうに多種多様な主張があって当然なのだけど、この論点において常に思っている個人的な感覚として言いたい事は、「職業に貴賤があるかどうかが判明したところで何か意味があるのか?」という。

 

そもそも論として、議論が分かれている以上は確実にどちらかが正しいという事はありえない。というより、神ならぬ身には決めようがないと言った方が正確か。いずれにしても、それぞれの主張や立場はいろいろとあるのだろうが、それはもう、それぞれが勝手にそう思っていれば良いだけの話である。

 

そんなことよりもオレがここで問題にしたいのは、我々ひとりひとりの「職業人としての貴賤」の有無である。職業それ自体に貴賤が有るのか無いのかなどは正直どうでも良い。真に重要なのは個人それぞれの職業意識だろう。それは職業それ自体の貴賤よりも上位の概念であろうと思う。

 

さて、職業に貴賤はあると考える人からすれば、医者や弁護士などはおそらく「貴」の方に分類されるのだろう。逆に、例えばキャバ嬢や風俗嬢などの場合は「賤」の中でもかなり下位のレベルだと認識しているかもしれない。まあ、一般論的にも理解しやすい分類だろう。

 

では、本当にその「職業的な貴賤」は「職業人としての貴賤」とイコールなのだろうか。オレは必ずしもそうは思わない。

 

肩書だけはご立派な職業だとしても、その実やっていることは既得権益や自らの保身に拘泥するか顧客の足許を見て搾取するような人々がいるとしよう。一方で、世間的な評価は底辺だとしても、一時の幻であってもただこの時だけはあなたに極上の時間を味わって頂きたいというスタンスで仕事をする人がいるとする。

 

さて、どちらが職業人の在り方として好ましいだろうか。答えは明確である。重要なのはどのような職業意識でその仕事に臨むかであって、職業それ自体の貴賤などはほとんど関係がないのだ。

 

「職業に貴賤なし」という言説に賛成か反対かは当然ながら人それぞれだろう。そこは好きにしたら良い。けれども、そのような不毛な議論に気を取られて、真に重要な論点を見失ってはいけない。

 

本質的に、「do what」よりも「do how」の方が何倍も重要なのである。

 

 - 思考