賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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自分の頭脳をきちんとコントロールする

   

使用者の“器”を逸脱してしまった道具はどんなものであれ、きちんと使いこなすことなど到底できはしない。それは自分自身の頭脳であっても決して例外はない。いわゆる「お勉強」をずっとやっていれば頭脳のクオリティは当然ながら高まっていくが、その使いこなし方を誰も教えてくれることはない。

 

思うに、高学歴でありながらイマイチ社会的な成功を掴めない人々というのは、まさにその「頭の使い方」が適切ではないのだろうと思う。

 

ご存知の通り、オレは日本の学校教育に対してはかなり否定的なのだけど、その理由の一端が「知識の使いこなし方をまったく教えていない」という部分だ。もっと悪意を込めて言えば、そもそも教師の側が「知識の使いこなし方を理解していない」ということでもある。あれでは正直、単なる「知識のねずみ講」であって、教育とはとても呼べないのではないかと思う。

 

また、世の中に存在する多くの産業や政治・経済などに関する諸問題を考えるにあたって、国語算数理科社会ではどうにも中途半端だ。もちろん小学生レベルの基礎力は必要だろうが、中学校でも高校でも同じことを繰り返す意義はどうにも理解しがたい。現実社会に対してまったく実用的ではない一方で、学術的に価値のあるレベルには到底至っていない。極めて中途半端である。

 

しかしながら、残念な事に、この欠陥に気が付く事ができるのは少なくとも一度はその道を通った者だけである。自分自身がその構造の中にいるうちは気が付けない事も多い。だからこそ、自分の頭脳の使い道を自問することは非常に重要で、それをしなければ学校で課されるカリキュラムを終えた頃には完全に知識を持て余すことになる。

 

誰しも一度は「こんな事を勉強して何の役に立つんだろう?」というセリフを思い浮かべた事があるだろう。中には、実際に口に出して言ってしまったような人もいるかもしれない。けれども、多くの場合、それはただの愚痴として出てきたセリフであって、その本質まで深く考えたりすることなく忘れ去られていく。

 

しかしながら、実はこの「こんな事を勉強して何の役に立つんだろう?」という問いはものすごく重要な問いである。極端な話をすれば、この問いに対する答えをもし自分の中に確固として持っているとするなら、それは「自分の頭脳をコントロールできている」ということとイコールなのである。

 

目的もなく漠然と努力を続けられるほど人間の意志の力は強靭ではない。あくまでも思い描く未来が先にあって、そのための知識なり技能なりを求めて勉強するというのが道理であろう。あなたの人生に何が必要なのか。それを決めるのが文部科学省で良いわけはない。

 

自分の頭脳、ひいては自分の人生である。その主導権は決して他人に明け渡してはならない。

 

 - 教育