賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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外国語教育という産業の受難

   

外国語を学ぶことの意義は非常に大きい。それは、当然ながら言語の第一義であるコミュニケーションの道具としての役割もそうだが、それ以上に、ある言語を学ぶことはイコールその言語の話者(ひいてはその話者が属する国家ないしは地域)の歴史、文化、精神性などを学ぶ事にも繋がるからである。

 

本記事では、その外国語教育という対象をひとつの産業として、ビジネス的な視点から考えてみようと思う。

 

まず業界としての分類は、主に「語学教室業」というカテゴリに属しているらしい。オレ自身も実はここ最近になって初めてこの用語を聞いたのだが(笑)

 

ともあれ、これは特定商取引法が定める定義によると、「語学の授業」を業務の中心としており、このうち受験英語に代表されるような塾や予備校の類は対象外とされる。ちなみに、この「語学教室業」という業種は特定商取引法に関する条項以外には開業時に要求される法的な資格や条件が一切ないらしい。

 

そういう意味では、スモールビジネスとしての参入はしやすいと言える。実際、従業員規模が10人未満の事業所が約9割程度、さらに5人未満の事業所だけで7割を超えているようだ。かなり小回りが利きやすい産業なのだと理解できる。

 

一方で、かつてNOVAなどの大手企業が軒並み破綻していった時期などは、国民生活センターに寄せられる相談件数が前年比で約5倍も急増するという、なかなかの苦境であり、その印象に引っ張られた部分もあって業界全体としてイメージが悪すぎたので、そのあたりの信頼感を取り戻すのに一苦労といった感はある。

 

実際、広い意味での教育ビジネスというのは、言ってしまえば信者ビジネスの面を少なからず持っているので、「なんとなくのイメージ」というものが意外と重要だったりする。

 

また、講師となる人材の育成と安定的な確保も重要な課題である。最近では、非常勤講師の割合が専任講師の割合を上回るほどの増加傾向にあり、講師の指導力はもとよりモラルやコミュニケーション能力の維持・育成が重要な問題となっている。

 

まあ、教える側の能力がいかに高いか(または低いか)というのは一概に数値によって定義できるものではないので、非常に評価が難しいところではある。故に、それらを雇う側である経営者の立場からすると、その点において非常に高水準な審美眼が要求されることになる。

 

ちなみに、これはあまり声を大にして言える事ではないが、日本にいる外国語の講師は極めてレベルが低いと思った方が良いだろう。何故なら、母国でまともな仕事に就いていないという事実が物語っている通り、彼ら彼女らは「言語における情報格差」をお金に換えようとしているだけだからである。ネイティブと非ネイティブでは言語能力に差があるのは当たり前であって、それは別に高度に訓練された職業能力でも何でもない。

 

時代の流れを考えてみると、現在以降、国際化の流れはより活発になっていく事は間違いない。そうした中で、英語をはじめとした外国語学習という需要は、実は二極化していく。

 

もちろん意識の高い一部の層には強い需要がある。しかしそれは、極めて高度な意思疎通を目的としたレベルのもので、規模もそこまで多くない。一方で、マイルドヤンキーなどという言葉に端的に表されているように、多くの層はあまり環境を変えたがらなくなっている。そういった層にとって外国語学習という需要はほとんど存在していないのである。

 

従来通りの産業構造の中にはもはや市場がないし顧客もいない。そうなると、自然と選択を迫られることになる。

 

すなわち、言語教育という学術的な側面と、事業としてのビジネス的な側面をいかにうまく落とし所を見つけて両立させられるかという事である。

 

時代の変化に対応し、今後は外国語教育という事業そのものを再定義する必要があるだろう。

 

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