賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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にわかファンという言葉のハードルが低すぎる

   

日本人のスポーツに対するミーハー感たるや、本当にどうにかならないものだろうかと常々思っていたけれども、ここにきてまたそれを遺憾なく発揮しているなと思う。

 

ラグビーのW杯が非常に盛り上がった。日本代表にとっては歴代でも稀に見るレベルの躍進であり、全4試合を通して、とても面白い試合を見せてくれた。それは純粋に素晴らしい事だ。けれども、やはり日本の多くの視聴者は日本代表の活躍に一時的に注目しただけで終わりである。非常に残念だ。

 

日本人が世界で活躍したら無条件に喜ぶ。別にそれ自体が悪い事だとはさすがに思わないが、しかしそれでは分野は何だって良い事になってしまう。もはやラグビーは関係ないのではないか。

 

サッカーのW杯でもしかり、野球やテニスやオリンピックなども同様だ。あるいは、極端な話、スポーツ以外の分野であっても、日本人が世界で活躍したと報道されれば少しの間だけ騒いで、あとは祭が終わったかのようにさっさと日常に戻る。

 

結局のところ、日本人の多くはその分野の本質なんて見ていないし、もっと言えば、最初から見る気もないのだろうなと思う。

 

ラグビーの話で言えば、五郎丸を中心に何人かの選手たちをバラエティ番組に呼んでみたり、あの人差し指を合わせる独特の動作をやたらと取り上げてみたり、もしくは戦術論的な解説をするにしても日本代表のことしか取り上げなかったり、そういうメディアの扱い方ばかりであった。

 

けれども、やはりそれでは視聴者の側のラグビー自体へのリテラシーはどう考えても高まらない。

 

ところで、こういった話題には必ずと言って良いほど“にわかファン”というキーワードが出てくる。

 

ここまで読んだ印象からすると意外に思えるかもしれないが、オレ自身、今大会の南アフリカ戦からラグビーに興味を持ち始めた“にわかファン”である。けれども、多くのミーハーな日本人と違って、オレはきちんとラグビーの“にわかファン”である。

 

多くのミーハーな日本人は結局のところ日本代表しか見ていない。ラグビー自体には興味がない。それが証拠に、あの南アフリカ戦をきっかけにして本当にラグビー自体に興味を持ったのだとしたら、日本代表の試合と決勝トーナメントで視聴率にそこまでの差は出ないはずだが、ちょっと調べればわかるのだけど、まあ、実際にどうであったかは言うまでもないだろう。

 

“にわかファン”という言葉は基本的にミーハーな人々をバカにする文脈で使う言い方だが、そもそも“にわかファン”という言葉自体のハードルが低すぎて話にならない。分野に関係なく日本人の活躍を喜ぶだけならファンじゃなくても良い。ただの大衆である。

 

日本のスポーツ偏差値がなかなか高まらない大きな要因のひとつは、こういった本質的には“にわかファン”ですらないような層が多すぎる点だろう。きっかけは何でも良い。しかし、その興味の射程と持続力をもう少し鍛えない事にはスポーツが文化として根付かない。それは非常に残念なことだと思う。

 

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