賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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嫉妬する資格

   

嫉妬というと一般的にはあまりいい言葉ではないし、他人からされるのは良くてもできれば自分はしたくないような類のものである。多くの場合、嫉妬をしているというまさにその現実に対しても、更には嫉妬などという感情に支配されている自分自身に対しても嫌気がさしてくる。

 

けれども、ここ最近になって、「嫉妬」という概念に対する新しい理解が自分の中でひとつ増えた気がするので是非とも本記事で紹介しておきたい。当然ながら今まではマイナスイメージの言葉としてしか認識していなかったが、あながちそうとも限らない事もあるのだなと改めて気付かされた。

 

ところで、皆さんは、谷川浩司(たにがわこうじ)という人物をご存知だろうか。(ほとんど知らないであろう前提で書いているが)

 

まあ詳しくはWikipediaに載っている通り、将棋の棋士である。

 

将棋にまったく興味がない人でも名前ぐらいは誰もが知っている羽生善治氏はあまりにも有名だが、その羽生善治の少し前の世代の将棋界のトップを走っていたのがこの谷川浩司である。逆に言えば、羽生善治の台頭によって谷川浩司が本来できたはずだった活躍の半分くらいが奪われたという見方もできなくはない。

 

何と言うか、間違いなく天才であり、どう考えても凄い人なのだけど、その実力と世間の評価というか知名度があまりマッチしていない珍しい存在である。ちなみに、1996年に将棋界のタイトル戦に全て勝利して羽生善治七冠が誕生したのだけど、その最後の「王将」というタイトルを羽生善治が奪取した相手もまた谷川浩司であった。そういう意味でも、何と因果なことだろうかと改めて思う。

 

さて、本記事で紹介したいのは、まさにこの谷川浩司という人物のセリフである。

 

以下は、2015年7月に放送された何かのラジオでのインタビューにおいて、将棋界だけでなく世間でもいわゆる「羽生フィーバー」と呼ばれていた名実ともに羽生善治全盛期だった当時の心境を自らの著書で「羽生さんに嫉妬した」と書いていた、その真意を訊かれた際の言葉である。(ラジオでの発言なので話し言葉を書き言葉に少しだけ修正して引用)

 

嫉妬というのも言葉にするとあまりよくないイメージがありますけれども、でも決してそうでもなくてですね、やっぱり嫉妬するってことは、自分もやっぱりそうなりたいとか、その人を超えたいっていう気持ちがあるからこそ嫉妬するわけだと思うんですよね。自分がやっぱり、まったく届かない、そういう人にはなれないと思う人に対しては嫉妬しないと思うんですね。例えば、私がイチロー選手に嫉妬するって事はありえないわけです。だからそういう、その嫉妬の気持ちを、まあ素直に受け入れて、それで、それなら自分はどうすれば良いかっていう事を考えれば良かったのかなあと、まあ20年以上経って今は思うわけなんですけれども。

 

このセリフは正直、サラッとものすごい事を言っているのではないだろうか。オレ自身、今まで「嫉妬」という感情を当然ながらあまり良くないものとして捉えていたし、冒頭でも書いたように、できればしたくないものだと認識していた。そういう思考の中にあって、この発言はオレにとって、ある種の天啓ですらあった。

 

インタビューの中にもあるように、まったく違う分野の第一人者に対して本気で嫉妬するなどという事はあり得ない。つまり、逆に言えば、本当の意味で嫉妬している(できている)時点で、その相手とはまだまだ実力が拮抗しているのだという事になる。正確には、少なくとも主観的にそう認識している以上、まだまだ心は折れていないという事である。

 

これは非常に重要なことではないだろうか。

 

将棋に限らず多くの分野で、プロと呼ばれるレベルの人は数多くいるが、そんな中でどれだけの人間が本気でその世界の頂点を目指しているのだろうかという話だ。もちろん調べようもないので正確には知る由もないが、意外とそこまで多くはいないのではないだろうかと思う。

 

本気で嫉妬するという事。これはむしろ自分の立ち位置や内なる心の声を自らに教えてくれるものとして歓迎するべきですらあるのかもしれない。

 

まだ戦える――。そう思える人にだけ、嫉妬する資格があるのだなと改めて思い知らされた。

 

 - 思考