賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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自己啓発は構造的に不可能なことを平気な顔して要求してくる

   

世の中には多くの自己啓発や成功法則なるものが溢れ返っているが、それらを読むことは本当のところ人生にとって意味があるのだろうか。誰しも一度くらいはそういった類のものに手を出したことがあると思うが、もしそれらが本当に意味のあるものだとするなら、――(この先に続く文章はあらゆるものが考えられるが、最も抽象的かつ身も蓋もない言い方をすれば)――、世の中がこんなザマなわけがない。

 

思うに、世の中の自己啓発の方法論というのは、いくつかの致命的に間違った前提からスタートしているが故に、多くの人にとって望んだ変化をもたらしてはくれない。

 

中でも、オレが実感として最も致命的に間違っていると思うのは、「意志力や精神力における個体差を完璧に無視している」という点である。細かい事まで含めればいろいろと言いたい事は山ほどあるのだけど、それらをほとんど全て含んだ概念として一言でざっくり言ってしまうと本当にこれに尽きる。

 

ここで誤解してほしくないのは、多くの自己啓発が個別の様々な論点において主張している事それ自体は特におかしいわけではないという事だ。多くの場合においてまずまず共感もできるし、おそらく人生をより良くしてくれる知見を提供してくれているのだという事は普通に理解できる。この点はまずフェアにしておきたい。しかしながら、その上でやはり問題があると思わざるを得ない。

 

まず、これらの自己啓発的なアドバイスというのは、誰しも「知識としては知っていてその重要性も頭では理解しているがなかなか行動が続かない」といった類のものが多いのではなかろうか。あなたにも身に覚えがあるだろう。もちろんオレにもあり過ぎて心が痛いが(笑)

 

ともあれ、そういう「わかっちゃいるけど……」というアドバイスをきちんとひとつひとつ実践し、なおかつ継続していくというのは意外とそれほど簡単ではない。

 

思うに、「わかっちゃいるけど続かない」ことを続けるために必要な事は大きく言って三つある。ひとつは、どう考えても続けざるを得ないような環境に身を投じること。もうひとつは、少しでもサボったらケツをひっぱたいてくれる人を近くに置くこと。最後は、強靭な意志の力で頑張ることである。

 

言われてみれば、身も蓋もない。というか、最後のひとつに至っては読者をバカにしているのかと疑うレベルである。しかし、オレ自身は至って大真面目だし、だからこそこの問題は根が深いのである。

 

まずひとつめの、「環境」という事を考えてみる。確かに、自分の意思(意志)とは関係なく物事を継続できるのであればこれほど楽なことはない。そんな環境があるなら是非とも進んで身を投じたいと思う人は多いだろう。

 

しかし、この「そんな環境があるなら」の部分が実はかなりのクセ者である。実際には、多くの人には毎日の仕事があり、場合によっては家族などもいるだろう。今まで連綿と続いてきた人間関係をいきなりバッサリと切り捨てるわけにもいかないだろうし、住む場所をガラッと変えることもそう簡単ではない。結局のところ、「そんな環境」なんて現実にはほとんど存在しないのである。より正確に言えば、もしあったとしてもその環境への移動が極めて困難である。

 

ふたつめの、管理者(監督者)を設定するという事についても考えてみる。これも一見すると非常に有効な手段のように思える。けれども、常識的に考えて、もはや“いい歳した大人”に対して口うるさく注意してくれるような存在はなかなか見つからない。会社の上司などがそれに似たような概念に思えるかもしれないが、上司の言うことを聞いて仕事(もっと言えば人生)が上手くいっているのだったら、そもそも自己啓発なんぞに手を出すわけがないのである。まあ本来なら、これはその自己啓発の著者自身が果たすべき役割なのだけど、何人もいる読者に対して一人で対応できるわけはない。

 

こうした構造を知ってか知らずか(もしくは知っていながら知らないフリをしているのか)、ほとんどの場合、継続するための方法論は示されていない。要するに「根性で何とかしろ」という事である。そして、「継続できないのはあなたが根性なしの意志薄弱野郎だからだ」という論調になってくる。もちろん直接そう言っているわけではないが、結果的にそう言っているのと同じ事になる。

 

これでは、あまりにも、あまりではないだろうか。

 

何だかんだと色々と役に立ちそうな知見をいくら提供してもらっても、結局のところ多くの人がこの高い高い壁を乗り越えることはできない。これでは事実上、ノウハウ(know-how)ではなくknow-whatである。何が重要なのかをただ知っているだけでは意味がない。

 

思うに、自己啓発や成功法則のようなものは最初の一冊を読んだ時の反応でほとんど決まると言って良い。きちんと正しい行動ができるような人なら最初の一冊を読んだだけでもできる。逆に、もし何冊も読んでいるのに行動できないのだとすれば、もはやあと何冊の本を読もうと行動は変わらない。

 

この手のモノには特有の、読んだ直後だけは何故かある種の全能感のようなものが生まれるが、それは間違いなく気のせいであって、時間の経過とともに“現実”に戻っていく。そして、その効果が切れたらまた新しい自己啓発に手を出す。これではもはや薬物依存症と何も変わらない。知識だけはたまっていく分、現実との隔たりを実感して余計に厄介である

 

若いうちに幾つか読んでみて感銘を受けるくらいならまだ健全だが、この悪循環にどっぷりとハマってしまっては人生を狂わせることになる。逆説的に言えば、いかに早く心地良いお花畑から抜け出せるかという事こそが真の意味での自己啓発を読む意味なのではないだろうか。

 

世の中の自己啓発の書き手の側からすればこれほど迷惑な話はない利用法だが、意外と有効な考え方だと個人的には思うのである。

 

 - 人生設計