賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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「わかる」と「できる」の間に隔たる海よりも深い断絶

   

世の中には、何やら常人には真似できないようなすごい技術や能力を目の当たりにすると、すぐに「それってどうやるの?」とついつい聞いてしまう人がいるけれども、基本的にそういう事を聞きたくなるような技術や能力は、そのやり方を知ったところで実践することはまず不可能だろう。

 

そもそも、そういった事が可能なすごい人達というのは別に知識があるからそれを実践できるわけではない。例えば、仮に「イチローになる方法」があったとして、それを概念として正確に理解したとしても、それを正しく実践できるのはおそらくイチローだけというか。

 

多くの場合において、言語や数式で記述されたものは一見すると客観的に理解して共有できる“正解”であり“真実”であるかのように錯覚するけれども、いざこの現実の世界というのは別に言語や数式でできているわけではないので、あれこれ鵜呑みにし過ぎると非常に危ない。

 

何というか、例えばスポーツのようにわかりやすく肉体的な運動能力の優劣が競われるような分野の場合はこの「わかる」と「できる」の間にある隔たりが非常に大きいという事が誰でも感覚的に理解できるはずだが、何故か一般的にそういった特殊技能だと思われていない分野における技術や能力というものはこの「わかる」と「できる」の差があまりにも軽視されがちである。

 

しかし、個人的には、ほとんどすべての分野でこの「わかる」と「できる」の間にはかなりの差があるのではないかと思っている。

 

こういった前提が頭から抜け落ちていると、自分自身が何かを実践しようとする場合のみならず、教育者としての立場にあるような人でさえも大変な過ちを犯すことになってしまう。

 

根本的かつ身も蓋もない事を言ってしまえば、「何を知っているのか」というのは直接的には重要じゃなくて、それはもはや前提として「その知識で何ができるのか」という事の方が何倍も重要なのだ。

 

せっかくの知識をこの現実の世界をより良く生きるために有効に使えていなければ、ただの雑学オタクの域を出ない。まあ、知識を蒐集するのが単純に趣味として楽しいのなら別に良いのかもしれないが、それで満足してしまうというのはあまりにもったいない。

 

いずれにしても、「何かを知っているという事それ自体」に対して決して安心してはいけない。それでは現実は何も変わらないのだということをしっかりと理解するべきだなと改めて自戒も込めて思うのである。

 

 - 思考