賢哲なる恣意性

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ゴスペラーズ『約束の季節』歌詩の意味,解釈,考察

   

本記事は2013年4月に桐峰矜の別のブログ『キョウのゴスコトバ』に投稿された記事を移行させたものである。このブログ『賢哲なる恣意性』とはだいぶ文体などのテイストが違うけれども、せっかくなのでそのまま載せようと思う。

 

 

≪≪≪以下、本文≫≫≫

皆様こんにちは。

桐峰矜(きりみねきょう)です。

今回は、The Gospellers(ゴスペラーズ)の『約束の季節』の歌詩について、私、桐峰矜の独自の視点から解釈と考察をしていきたいと思います。

皆様どうぞよろしくお願いします。

 

≪楽曲基本情報≫

『約束の季節』The Gospellers(ゴスペラーズ)

作詩:安岡優
作曲:北山陽一、橘哲夫

曲の構成は、

Aメロ Aメロ Bメロ サビ
Aメロ Bメロ サビ
Cメロ サビ

といった感じです。

歌詩を引用する場合には、“二重引用符”を使います。
例 “いつか 言葉を聞かせて”

 

≪解釈&考察≫

ゴスペラーズ17枚目のシングルである『約束の季節』です。

 

この『約束の季節』は、シングル曲で初めて北山さんがまとまった高音域のリードヴォーカルで登場する曲でもありますね。

 

全編を通して、爽やかでスタイリッシュなバラードといった印象を受ける楽曲だと思います。

 

 

では歌詩の内容に。

 

“「さよなら 明日また」 そして 少し微笑んで 君は”
“思い出の扉を開けて 歩き始めた 新しい時を”

 

この『約束の季節』の歌詩は、全体として、一度は離れた二人がまた数年後の夏に一緒になるという内容なんですね。

 

その夏(私のイメージでは長袖Tシャツ一枚でいけるくらいの初夏)がタイトルにもなっている『約束の季節』という言葉で表されています。

 

まずはAメロですが、ここは時間軸的に考えると回想シーンと言えると思います。

 

“「さよなら 明日また」”という表現は、音数の制約に添った比喩で、ここでの「明日」というのは、「未来におけるいつか」を表しているのだと思います。

 

だからこそ、今まで二人で一緒にいたという“思い出の扉を開けて”しばらくは別々の道をゆくという“新しい時”を“歩き始めた”わけですね。

 

“いつもの帰り道 だけど 何も言えなくて 僕は”
“最後に 君の頬に触れた 右の手のひら 空にかざした”

 

ここも回想シーンですね。

 

この部分の歌詩は、なんというか、言っていること自体は非常にわかりやすいんですが、込められた意味については、聴く人によってどのようにも解釈できるのではないかなと思ったりします。

 

どういった心境から、何も言えなかったのか、手を“空にかざした”ことで何を表現したかったのか、など、特定の意味には絞り込めないけれど、なんとなく言葉自体が持つ雰囲気が楽曲のイメージを形作ることに寄与している部分だと思います。

 

さて、Bメロへ。

 

“あの日見た 夏の眩しさが 何度通り過ぎても”
“たった一つ 変わらないもの この愛の意味を”

 

ここは解釈しやすいですね。

 

“あの日見た 夏の眩しさ”というのは、最初のAメロででてきたシーンのときに見た夏の眩しさということですね。

 

それが“何度通り過ぎても”というのは、「何年たっても」という意味と同じだと思います。

 

後半部分はもはや説明不要ですね。

 

というか、説明するのが恥ずかしいレベルの、これぞ安岡さんといった感じのストレートな表現ですよね(笑)

 

そしてサビへ。

 

“いつか 言葉を聞かせて その心まで 声を届けて”
“離れていても 二人の季節が そこにあるから”
“約束するよ 君と歩こう”

 

これはいきなり解釈が分かれると思うんですが、まず、この“言葉を聞かせて”というのは、誰が誰に誰の言葉を聞かせてなのかが実は意外と曖昧なんですよね。

 

常識的に考えれば、「聞かせて」と言っている以上、「君の言葉を僕に聞かせて」という意味が一般的だと感じるはずなんですが、もしこの「聞かせて」が、「子守唄を聞かせて寝かしつける」の「聞かせて」と同じ用法だと考えるとまた話が違ってきてしまいます。

 

つまり、何が言いたいかというと、どのようにも解釈できる歌詩はどのように解釈してもいいということです。

 

もしこれが国語の試験だったら極限まで論理を突き詰める必要があるのかもしれませんが、エンターテインメント作品の解釈については、すべて受け手の自由だと私は思っています。

 

私はこのブログでそんな無数にある選択肢の中の一つを主観的に紹介しているにすぎません。

 

ですから、読者の皆様も私の主張をそのまま鵜呑みにする必要は当然ないですし、どんどん自由な解釈をしていただければなと思います。

 

激しく話が逸れましたが(笑)

 

“離れていても 二人の季節が そこにあるから”
“約束するよ 君と歩こう”

 

この部分がだいたい言いたいことだと思うので内容的には意外とシンプルですね。

 

さて2番へ。

 

“違う昨日を選んだ それは同じこの街で 二人”
“重ねた今日のそのどこかで 一つの時を分け合うために”

 

ここがまた非常に「うまい」歌詩だなと感じます。

 

この『約束の季節』は全編を通して歌詩のストーリーが首尾一貫しているので、結局言っていることは繰り返しになっているわけですね。

 

そこで、いかに多彩な表現を散りばめるかが鍵だというわけです。

 

“違う昨日を選んだ”というのはつまり、“歩き始めた 新しい時を”というフレーズを、時間軸を現在にシフトして言い換えたものですね。

 

そして、“重ねた今日”というのは単純に「毎日」のことで、“そのどこかで”というのは、「生きていく中のいつかで」という意味になると思います。

 

“一つの時を分け合うために”は、また二人が一緒になる、そのための互いの成長のための時間だということでしょう。

 

さて、Bメロへ。

 

“見上げれば 夏が眩しくて 雲を追いかけるけど”
“たった一つ 見せてあげるよ この愛の意味を”

 

前半部分だけだとちょっとよくわからないんですが、眩しくて雲を追いかけるというのは、天気(つまり、季節)が移り変わることの比喩で、どれだけ時間を経ても想いは変わらないという意味だと思います。

 

難しいようでいて意外とシンプルなんですよね。

 

2番のサビは前半部分しかなくて、ラストが“僕の全てを”に変わっていますね。

 

そして休む間もなくCメロへ。

 

“あの涙の後にそっと”

これは、雨の比喩でもあり、実際の悲しみの涙という意味でもあると思います。

“今年も 光放つ太陽が”

ここは歌詩そのままですね。

“約束の季節に虹を架けて”

ここで、雨の比喩だといった意味がわかると思います。

 

ちなみにこの“虹を架けて”の「か」の音は黒沢さんの非裏声の史上最高音である高いE♭まで出ていますね。

 

私は何度カラオケで挑戦してもこの部分をちゃんと歌えたことがありません(笑)

 

そんな余談はさておき、

“もう一度 笑える きっと きっと”

ここは、実際の悲しみの涙との対比になっているわけですね。

 

ちなみに、ここのラストは村上さんの非裏声の史上最高音であるB♭ですね。

 

この一連のフレーズの中にどれだけ高音をぶっ放せば気が済むのか(笑)

 

そんなヴォーカルテクニック祭り的な様相を呈しつつラストサビへとつながっていきます。

 

この『約束の季節』は歌詩と関係ない部分で非常に「おいしいフレーズ」が多かったりもしますよね。

 

まさに、ヴォーカルが複数いてこそ成り立つゴスペラーズの大きな魅力を発揮しまくった楽曲だと思います。

 

そんなわけで、『約束の季節』の歌詩を私なりに解釈し、考察してみました。

 

いかがでしたでしょうか。

 

これからもゴスペラーズの数多くの楽曲の歌詞(歌詩)を幅広く独自の視点で解釈&考察していきたいと思います。

 

今回は最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

“約束するよ 君と歩こう”

 

桐峰矜

 

≪≪≪以上、本文≫≫≫

 

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