賢哲なる恣意性

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ゴスペラーズ『愛の歌』歌詩の意味,解釈,考察

   

本記事は2013年5月に桐峰矜の別のブログ『キョウのゴスコトバ』に投稿された記事を移行させたものである。このブログ『賢哲なる恣意性』とはだいぶ文体などのテイストが違うけれども、せっかくなのでそのまま載せようと思う。

 

 

≪≪≪以下、本文≫≫≫

皆様こんにちは。

桐峰矜(きりみねきょう)です。

今回は、The Gospellers(ゴスペラーズ)の『愛の歌』の歌詩について、私、桐峰矜の独自の視点から解釈と考察をしていきたいと思います。

皆様どうぞよろしくお願いします。

 

≪楽曲基本情報≫

『愛の歌』The Gospellers(ゴスペラーズ)

作詩:安岡優
作曲:黒沢薫

曲の構成は、

Aメロ Bメロ サビ
Aメロ Bメロ サビ
サビ サビ サビ

といった感じです。

歌詩を引用する場合には、“二重引用符”を使います。
例 “重ねた (重ねた) 唇から”

 

≪解釈&考察≫

さて、ゴスペラーズ10枚目のシングル『BOO ~おなかが空くほど笑ってみたい~』のカップリング曲で、ベストアルバム『G10』にも収録されている『愛の歌』です。

 

今ではすっかりライブなどでもお馴染みですが、かつては隠れた名曲といった感じだったのかもしれません。

 

さて、それでは内容に。

 

“(思いが 溢れて)”

 

まずはコーラスパートで軽くジャブを打つ感じですね。

 

この『愛の歌』は、全編を通して、愛しい想いが自然と溢れ出てしまう、といった内容になっているので、まさに最初のつかみとしてぴったりな表現ですよね。

 

Aメロへ。

 

“ねえ 楽しいばかりじゃないから”
“忘れられないほど 思い出は”
“大切な時間を 残してくれたね”

 

普通に生きていれば、当然ながらストレスや苦痛も当たり前にあるわけで、だからこそ、楽しいことや嬉しいことはまさに“忘れられないほど”記憶の中で際立つということですね。

 

こうしてみると意外と当たり前のことを言っているんですが、限られた音数という制約の中でサラッとうまく表現するというのは、実はとてもすごいことなのではないでしょうか。

 

さて、Bメロへ。

 

“このまま 側にいたくて”
“ああ 何度も 気持ち 伝えよう”

 

ここはAメロから内容的に繋がっていて、もちろん、“思い出”が“大切な時間を”残すのは、二人でいるからですよね。

 

だからこそ、ずっとそんな関係を続けていきたい、という想いがこのBメロの歌詩なわけです。

 

そしてサビへ。

 

“重ねた (重ねた) 唇から”
“愛の歌がこぼれて”

 

ここは非常にうまい表現ですよね。

 

この歌詩の世界観の中では「キス」と「歌」が、それぞれ感情が溢れだすという意味の比喩として重ね合わせられているわけです。

 

“(眩しい) 朝の光”
“今日 迎えにゆくから”

 

朝の光を迎えにゆくというのは、つまり、この愛しい気持ちのまま明日を向かえるという意味だと思います。

 

そして、その「明日」が翌日からみて“今日”と表現されているわけですね。

 

さて、2番へ。

 

“ねえ 一人で 抱きしめられない”
“悲しみ溢れても 一緒なら”
“歩き出す力が 生まれてくるのさ”

 

ここも、1番のAメロと同様、

 

一人では受け止めきれない悲しみがあっても二人でいれば、ちゃんと前を向いて進んでゆけるという、割とスタンダードなメッセージですよね。

 

しかし、ここも言葉選びがとてもうまいと思います。

 

Bメロへ。

 

“並んだ 影が愛しい”
“ああ 変わらぬ 気持ち 誓うよ”

 

ここもまた、1番のBメロと伝えたいこと自体はあまり変わらないですね。

 

まあ、ひとつ注目すべきポイントとしては、この後のサビに向かって、時間帯が夕方から夜に近づいている点ですかね。

 

“並んだ影”という表現は、影がある程度長く伸びていないと成り立たないと思うので、おそらく夕暮れ時の影のことでしょう。

 

そしてサビへ。

 

前半部分は1番と同じですね。

 

“(夜空の) 星の数を”
“今夜 教えてあげる”

 

そして夜になっていると。

 

当たり前ですが、ここは、実際に星の数を数えたりするわけではなくて、1番での「朝」に対して、2番は「夜」という対比になっているんですね。

 

そして、間奏を挟んで最後のサビへ。

 

“ここから (始まる) 愛の歌が”
“世界中に流れて”

 

安岡さんの描くラブソングはよく世界規模にまで視野を広げますよね。

 

もっとも典型的なのは『誓い』だと思うのですが、なんというか、本来、当然ながらそれぞれの歌詩における主人公とヒロインの恋愛模様を歌っているわけですが、そのラブストーリーを古今東西の様々なシチュエーションを考慮に入れながら描くというのが安岡さんの大きな特徴の一つではないかなと思ったりします。

 

さて、歌詩に戻りまして。

 

“(消せない) この気持ちは”
“もう二度と 会えない 時が来ても”

 

ここが、この『愛の歌』で一番解釈が分かれる部分だと思います。

 

まず、どこが意味の切れ目なのかという点ですが、

もう二度と会えない時、が来ても
(つまり、会えなくなる、という時期が訪れても)

なのか、

もう二度と会えない、時が来ても
(つまり、時間が過ぎても、会うことはできない)

なのか、

もう二度と、会えない時が来ても
(つまり、会えなくなっても、絶対に“(消せない)”)

なのか、

シンプルに考えるとこの3通りが思い浮かびますよね。

 

しかしまあ、結論から言うと、三番目だと思います。

 

メロディ上の区切りに引っ張られると二番目だと誤解してしまいそうになりますが、意味の繋がりから考えると三番目で間違いないとわかります。

 

前半部分で、“世界中に流れて”といっていますよね。

 

そして、“(消せない)”が続きます。

 

つまり、これは、ちょっと語順が複雑な倒置で、日本語の文章として一般的に自然な語順に直すとすれば、「もう二度とこの気持ちは消せない。(たとえいつか)会えない時が来ても」といった感じになるはずです。

 

これなら簡単ですね。

 

こうやって、文法的見地から頑張って解釈してみるというのも意外と楽しいですよ。

 

…………。

 

なるほど、私だけですか(笑)

 

さて、そんな雑談はさておき続きです。

 

と言いつつ、ここの前半も1番2番のサビの前半と同じですね。

 

“(あなたが) 話しかけた”
“その続きを聞かせて”

 

ここは、ちょっといきなり意味の繋がりが曖昧になってしまいましたね。

 

まあ、無理やり深読みすれば、キスによってこぼれた愛の歌をヒロインの言葉と重ね合わせて比喩として言っているのかもしれません。

 

ちょっとここに関しては自信がないです(笑)

 

さて、ラストです。

 

例によって前半は同じで後半へ。

 

“(愛しい) あなただけに”
“この言葉を届けて”

 

ここでの“この”という指示語は対象がかなり曖昧でひとつに決められないんですが、なんとなく伝えたいことのニュアンスはわかりますよね。

 

私は、なんとなくわかることはそれでもいいと思っています。

 

もちろん、国語のテストでそれではまずいですが、そもそも創作物に唯一絶対の正解などないので、いくらでも自由に解釈していいのだと思います。

 

ですので、私は、小説の読解を国語の試験として設定することには非常に(以下略)

 

まあ、そんな私の持論はともかく(笑)

 

美しい言葉でラストを飾ればそれでよし、といったところでしょうか。

 

そんなわけで、『愛の歌』の歌詩を私なりに解釈し、考察してみました。

 

いかがでしたでしょうか。

 

これからもゴスペラーズの数多くの楽曲の歌詞(歌詩)を幅広く独自の視点で解釈&考察していきたいと思います。

 

今回は最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

“この言葉を届けて”

 

桐峰矜

 

≪≪≪以上、本文≫≫≫

 

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