賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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神にも負けぬ唯一の力

   

オレは別にオカルト好きでもないし、特定の宗教に対する信仰心などは一切持ち合わせていないのだけど、抽象度の高い議論をするために概念上の設定を与えられた存在としての「神」にはある程度の興味・関心があったりする。

 

一般的に、「神」というのはどうやら全知全能の創造主であるらしいということになっている。しかし、「全知全能」という言葉の意味を冷静に考えてみると、実際のところはあまりよくわからない。言葉の字面だけを見てみると、一応「全てを知っていて、全てができる」という意味にはなるのだろうけれども。

 

では、ここで少しばかりひねくれてみる。

 

まず、「神は東を向くことができる」という命題には誰も異存はないだろう。そして、同様に「神は西を向くことができる」という命題にも誰も反論はできまい。では、「神はこれらを同時に行うことができる」という命題はどうだろうか。簡単だ。動作主体が単一であれば、互いに背反であるような事象を同時に満たすことはできない。このあたりは高校の数学で出てくる分野なので問題ないだろう。つまり、「全知全能」であるはずの神と言えども、できないこともあるのだ。

 

さて、既にお気付きのことと思うが、この文脈における「神」とは当然ながら比喩である。

 

この現代は、非常に変化が目まぐるしく、既存のセオリーがどんどん通用し難くなってきている。そんな激動の時代にあって、「何かができる」ということの価値(というより意味)が随分と様変わりしているのである。

 

一昔前までは、まさに文字通り「手に職をつける」などという言葉で端的に表されるように、「熟練した専門家」というものが価値を持った時代であった。しかし、この現代においては、グローバル化、通信技術の発達、安い労働力の外注化、消費傾向の変動、などなど様々な理由により、せっかく苦労して身に付けた技能が明日にはもう役に立たないなどということが現実に起こり得る(分野によっては既に起こっている)。

 

そうした時代において、淘汰されることなく生き残るための唯一の方法があるとすれば、それは、何かと何かを組み合わせる力である。別の視点から言えば、分野と分野を飛び越える力である。

 

今やもう、単一の技能のみで生涯安泰という時代ではない。おそらくは、人間が何らかの技能を身に付けるのに要する期間よりも、科学技術の実用化のスピードの方が上回るような時代がもうすぐそこまで来てしまっているのだ。

 

そんな時代において強みとなるのは、やはり「アイデア」であり、広い意味での身軽さなのである。どんなに優秀な人間であっても、思い付いた有益なアイデアの全てを同時に実行することは不可能だ。我々は「神」と同じ土俵で勝負する必要はない。「神」が東を向いているときには、我々は西を向けばいいのだ。決して、東でしか活躍できない存在のままで安心していてはならないのである。

 

そういう意味で、誰もが思いもよらぬ発想力というもの。つまり、分野と分野の壁を飛び越える力が求められるのだ。それは、あなただけの飛び越え方。つまり、他者による模倣が不可能な新しい独自の価値を生み出すということなのである。

 

それこそが、神にも負けぬ唯一の力だ。

 

 - 思考