賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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SNSって本質的に無意味だよねという真っ当な痛感を無視する勇気

   

SNSが人々の日常的なコミュニケーションツールになって久しい。そのメリットはもちろんいろいろあるだろうし、オレ自身も幾つかのSNSを使っているから、一概にその存在が良いとも悪いとも言えない。

 

もちろんリアルの知人と実際に会ってするようなやり取りをネット上に移行しただけのようなリア充的な使い方がしたければそれも良いだろう。メールと違って明確な送受信者の関係がなくリアクションのプレッシャーが少ない分だけストレスも感じにくい。

 

もしくはある種のビッグデータ処理というか情報の更新頻度が極めて即時的な検索エンジンとして活用している人もいるだろう。そういった利便性は確かに理解できる。

 

一方で、いざ一般人がいわゆる「意味のある発言」をしてみようとした場合、その途端に己の無力感を痛感せずにはいられない。

 

意味のある事をするから影響力が増すのか、はたまた影響力があるからする事が意味を持つのか。これは鶏と卵にも通じるくらい難しい問題だけど、まあそれはさておくとしても、まだ何者でもない一般人がSNSで何かを主張してもほとんど意味を持たない。せいぜいリアルの知人に白い目で見られるくらいである。

 

けれども、やはり何かを言わずにはいられない。たとえ数年後から見れば黒歴史でしかないとしても、世の中に対して何かを言わずにはおれない。そういう呪いにも似た性質がオレは意外と嫌いじゃない。

 

はっきり言ってSNSで(というかもはやSNSじゃなくても)一般人が何かを主張するなんて本質的にあまり意味がない事なのだ。多くの人はバカじゃない。そんな事は薄々感づいている。けれども、それでも、言いたい事があるし、オレを無視するんじゃねえと叫びたくて今日もつぶやくのである。

 

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