賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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死者と対話する唯一の方法

   

魔法でもなく、ネクロマンスでもなく、ましてやスピリチュアルな話などではまったくなくて、ただただ誠実に死者と対話することは、紙とインクという偉大な文明の力を借りることで可能となる、誰にでも平等に与えられた権利である。

 

その権利とは、そう、すなわち、「読書」のことだ。

 

「読書とは、著者との対話である」などというのは随分と使い古されたフレーズだが、この言葉をただの言葉遊び、というか形だけのものとして捉えたりせずに、きちんと真摯に意識して書物に向き合っている人間がどれだけいるだろうか。

 

著者と対話するというのは当然ながら、存命の人物に対しても同様である。タイトルこそ『死者と対話する唯一の方法』などと外連味を多分に盛り込んで謳っているが、それは何も、由緒正しき古典に限った話ではない。どのような書物と向き合う際にも必要な心構えなのだ。

 

オレが個人的に勉強させてもらっているある方の弁によれば、「読書とは著者の思考の追体験である」という。ほほう、なんとも素晴らしい考え方ではないか。『アカイロ/ロマンス』をじっくり読み込めば、藤原祐の思考をオレ自身が追体験できるというのだ。

 

と、これは少しばかり冗談が過ぎたが(笑)、逆に言えば、著者が何をどう考えてその文章を書いたのかを考えながら読むことで、自らの「読書人」としてのステージがひとつ高まると言えるだろう。むしろ、もっと言えば、著者の思考を追体験しようと努力するその営みにこそ真の価値があるのだ。

 

「書籍」というのは、世の中に数多く存在する「学びの形態」のなかで最も金銭的な負担の少ないものだ。それも、あり得ない安さである。

 

考えてもみてほしい。世界史上に名だたる哲学者、物理学者、経済学者など、分野は何でも良いのだけど、そういった雲の上の存在に対して、もし実際に教えを乞うと想定した場合に、一体どれだけの費用がかかるのだろうか。おそらく現代の相場に直せば、一般的なサラリーマンではとうてい支払えないような規模であろうことは間違いない。

 

そのような偉大な先人の知恵をわずか数千円で受け取ることができるのだ。冷静に考えてみると、これはもはや、ある種の異常事態である。こんな青天井のボーナスチャンスを自らの人生に活かさない手はない。

 

何十年も、何百年も、場合によっては何千年も前の時代に生きた偉人達の叡智を、時空を超えて追体験することができる。そう考えてみると、「読書」というものに対する知的ロマンが少しは喚起されてこないだろうか。ちなみに、オレはくる(笑)

 

我々は一般的に、学校のお勉強という形でしか「学び」の場を経験していないので、多くの場合、その時々の必要に迫られて(もっと言えば誰かから強制されて)受動的に書物に向き合うことになる。いわば心が死んだ読書である。

 

「死者と対話する」などと銘打っておいて、自分(の心)が死んでいたら笑えない冗談だ。あくまでも、自らの心は生き生きとしていながら、偉大なる叡智と対話するのだ。

 

さて、今日も今日とてアリストテレスやドラッカーと対話をすることにしよう。

 

と、言ってそう簡単にできるわけがないのがこの世界の奥深いところである(笑)
どうしても、少しばかり歯を食いしばって取り組む段階が必要なのだ。

 

 - 思考