賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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大衆(バカ)を都合よく煽って動かせる時代もそろそろ終わりつつある

   

マスメディアが徐々に影響力を失い始めている。というより、もっと身も蓋もない言い方で端的に言ってしてしまえば、テレビがクソほどつまらなくなってきている。これは別にテレビというメディアが番組作りの方針を変化させたからではない。どちらかと言えば、視聴者というか世の中の人々のメンタリティの方にその変化の原因がある。

 

テレビやラジオや新聞や雑誌などに代表されるようなマスメディアというのは、その文字通り、マス(mass=大衆)に対してコンテンツを提供するメディアである。したがって当然ながら、そのビジネスモデルの前提には、マス(mass=大衆)によって満たされた市場が存在するという事が求められる。そして実際に、ある時期まではそういった市場が確かに存在していた。それは、かの有名なオルテガの著作などを引用したりするまでもなく、誰でも感覚的に理解できるであろう。

 

けれども、近年になって何やら様子がおかしくなってきた。

 

もはやこの時代、ひとつの価値観で一斉に同じ方向に動くような、大きなカタマリとしてのマス(mass=大衆)はほとんど消え去ってしまった。情報化やグローバル化など、幾つもの側面からこの要因は説明できると思うけれども、とにかく、今やもう世の人々の性質を漠然とでも捉える方法として、大衆というわかりやすいカテゴライズは難しくなってきている。

 

この現代の中でも特に最近というのは、極めて個人的な価値観に根差した欲求をそれぞれがそれぞれ勝手に満たしていこうとするような時代である。

 

その極めて狭い視野に基づいた自分の価値観と世の中の供給が一致する場合(それは商品・サービス・人間関係などを全て含む)にのみ、ある種の異常なほどに著しい共感を示す。逆にちょっとでも自分の共感範囲からずれようものなら見向きもしない。そんなバラバラな個人のバラバラな価値観が結びついた小規模なコミュニティが幾つも乱立しているような時代である。

 

地元の悪友の間でしか通じない話題でいつも盛り上がるマイルドヤンキーなどと呼ばれるような層もその顕著な一例であろうと思う。

 

いずれにしても、大きなカタマリとしての大衆を煽って動かすようなことはこれから先の時代には難しくなるだろう。それは別に、手法に不備があるとか実力不足だからとか倫理的に気が進まないとかそういう問題より前に、そもそもマス(mass=大衆)という存在が消えているからなのである。

 

今後、もっともっと人々のメンタリティを正確に捉える事は難しくなるだろう。今のうちに準備できる事は準備しておくべきだ。意外と、取り返しがつかなくなる日も近いかもしれない。

 

 - 思考