賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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無邪気な憧れとドス黒い嫉妬心

   

ちいさな子供が誰かに憧れて、その人を目指して自分も頑張るというのはとても美しい物語だ。そこには打算や裏の意図などは一切なく、極めて純粋な心だけが存在している。

 

思えば、誰しも子供の頃にはそういう気持ちを抱いたことがあったはずだ。けれども、良くも悪くも大人になって“現実”を知ってしまう事で、そういう純粋な気持ちは徐々に薄れていってしまう。ただ単純に「好きだから」「楽しいから」といった理由で何かを続けるという事をしなくなっていく。

 

そうして、大人としての“現実的な”進路を考えようとしたときに、どうしても周囲と自分を比較してしまう。その際、多くの人は自分より格下の相手を知る事で安心することはあまりなく、何故か「上には上がいる」という印象だけが色濃く残る。そうしてだんだんと元々ありもしなかった自信を更に喪失していく。

 

「あいつは早稲田に受かったのに自分は明治か」「知り合いの知り合いは大手企業に内定しているのに自分は中堅から零細レベルにすら引っかからない」「ネット上には自分より若くして何千万も稼いでいる人がいるらしい」……。

 

本来、他者が何者であろうがどんな生活を送っていようが、自分自身の価値は1mmも変わったりはしないのだけど、やはり人間の認識というのは相対的なもので、色々と雑音が気になってくる。それは別にメンタルが弱いとかそういう話ではなくて、程度の差こそあれ誰しもが通る道だろう。

 

しかし、こうなってしまうとなかなかに厄介である。何故なら、子供の頃に抱いていた純粋な憧れと違って、大人になってからの嫉妬というのは、その対象を純粋に尊敬して自分も頑張ってその人を目指そうという思考にはなりにくい。どうしても、無理矢理にでも粗探しをしてみたり、あんな奴は大したことがないなどと自分に言い聞かせてみたりしてしまう。

 

そうなってしまっては無駄に自己嫌悪に陥るわ自己成長も滞るわで良い事がない。本来、まったく自分の人生には関係がなかったはずの赤の他人の動向でメンタルを消耗するのは得策ではない。

 

何事においても、完全に「気にしない」というのは難しいかもしれないが、でき得ることなら未来に何も生み出さない嫉妬心からは卒業して、もう一度、純粋だったあの頃の気持ちに戻って、素直に憧れることができる対象を探してみるというのもひとつの手なのではないだろうかと思うのである。

 

 - 人生設計