賢哲なる恣意性

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茂木健一郎による「フロー」の解説

   

本記事は脳科学者の茂木健一郎氏がTwitterにて「フロー」というものに関する解説をつぶやいた一連のツイートを自分自身に対する備忘録として残しておきたくて全文を引用しているものである。

 

投稿は2016年12月23日から12月29日にかけてのものである。

 

【以下、引用】

 

何かに集中して、時間が経過するのを忘れるような状態を「フロー」という。アメリカの心理学者チクセントミハイの概念である。フローの状態において、人はパフォーマンスが最大になる。行為自体がよろこびになる。

 

一日のうち、ほとんどの時間がフローになるように生活するのが一つの理想である。そしてそれは可能である。朝起きてから眠る時まで、常に、その時々にやっていること、「今、ここ」に集中して、フロー率をほぼ100%に持っていくのである。

 

フロー100%にするためには、いくつかのコツがある。一つには、気分転換や行動の切り替えのタイミングを見誤らないこと。煮詰まりそうになったら、さっと切り替えて、歩いたり、他のやらなくてはいけない行動をする。そのようなスイッチングによって、フローを継続していける。

 

To do listは、どこか外部に書いておくのではなく、心の中に思い描いていることを推奨しているが、そのような脳内to do listは、フローを継続する上では役に立つ。常に、実際に行動できる以上の事項を脳内to do listに置いておくことで、臨機応変に切り替えるのである。

 

常に「今、ここ」に集中すること、そして、行為の切り替えをスムーズにそして柔軟に行うこと、常に多くの脳内to do listをイメージしておくことで、朝起きてから夜寝るまでのフロー時間を、限りなく100%に近づけることは可能である。

 

フロー100%への道は、脳内経済政策に似ている。ある時は自由放任に、別な時は敢えて刺激策をとる。また、思いつきで突然予定外のことをやるのも良い。結果としてフローが100%近くになるのは可能だし、そこを目指して生活するのが楽しい。

 

集中して、時間の経つのも忘れ、行為自体が報酬となる「フロー」を実現するためには、脳に負荷をかける必要がある。繰り返し試みて、次第にスキルが上がっていって、スキルと負荷が高いレベルで一致するのがチクセントミハイの言うフローの状態である。

 

フローの階段を上がっていくには、負荷が必要なのだが、ここで問題になるのがいかに負荷をかけるかだ。負荷が不十分だと脳が退屈してしますし、負荷が過大だと無力感にとらわれたりストレスを感じたりしてしまう。

 

目安としては、自分が全力で取り組んで、なんとかクリアできるかできないかくらいのレベルに負荷を置くといい。そのようなレベルの負荷に取り組むことで、フローの状態に自分の脳を導いていくことができるのである。

 

肝心なのは、自分自身が負荷のレベルを調整するということである。他人からの負荷はストレスに感じやすい。たとえ、他人から負荷を与えられたとしても、それを自分の中で自分自身がかける負荷に変換して実行すると良い。

 

学校の先生から宿題を出されたり、会社の上司から仕事を与えられた時、その負荷のレベルをコントロールするのが他人だとストレスを感じる。その宿題や仕事を、自分自身の課題に変換してコントロールするようにする。そうすれば、フローに入るために必要な負荷の調整ができる。

 

逆に言えば、他人に示唆することは良いけれども、負荷のレベルを強制してはいけない。それぞれの人が、自分自身で負荷を調整して、フローの状態で勉強や仕事ができるようにすることが、結果としては良い結果をもたらす。

 

チクセントミハイの「フロー」で最も大切なことの一つは、行為そのものが報酬になるということである。つまり、その行為の結果、何らかの報酬が得られるということがポイントなのではなく、何かをすること自体がうれしくなる。

 

人生の時間、その中ですることが、何かの目的のための手段になってしまってはもったいない。カントは、人間を手段ではなく目的自体として扱えと言ったが、同様に、人生は手段ではなく、目的自体としなければならない。そうでないともったいない。

 

勉強にせよ、仕事にせよ、その営みを手段だと考えると時に苦しい。勉強を入試に受かるための手段としてとらえると、もし落ちてしまったら虚しくなる。仕事を生活のための手段と考えると、働いている時間が時に苦痛になってしまう。

 

入試のための準備、ということを離れて勉強自体が楽しい、生活の糧を得る、という目的を離れて仕事自体が楽しい、というフローの境地に達することで、延々と続く生きる時間そのものが「蜜の味」になる。それが、幸せへの道である。

 

チクセントミハイのフロー概念で最も重要なポイントは、行為を手段ではなくそれ自体を目的とした時に、パフォーマンスも学びも最大になるということ。つまり、逆説的だが、目的を考えない方が目的もより効率的に実現できるのである。

 

目標というものに縛られるとかえって質が悪くなるのは、芸術作品においても同様である。焼きものなどが昔の名品のようなものができない理由は作家の自意識が強いからともされるが、フローの没我こそが、質の向上につながると知るべきであろう。

 

これは、必ずしも定着している使い分けではないが、「フロー」と「ゾーン」を便宜上区別する。「フロー」が、日常的に経験できる、今やっていることに集中している状態だとすると、「ゾーン」はさらにその上を行く状態を指すものとする。

 

「ゾーン」は、トップアスリートでも、その生涯に多くても数度しか経験できない特別な状態である。たとえば、スケート選手がその滑るべき軌跡が光の線になって見えたり、野球選手がボールがとまって見えて、すべてがうまくいくような状態である。

 

「フロー」と「ゾーン」は、連続したスペクトラムの中にあると考えるのが妥当である。もともと、フローの定義は、課題とスキルが高いレベルで一致するというものであるが、ゾーンは、そのレベルが、通常到達できる範囲を超えた状態にあると言うことができる。

 

私たちは「フロー」は日常的に経験できるが、「ゾーン」はなかなか経験できない。ただ、フローを積み重ねていないと、ゾーンにも到達できないことも確かである。ゾーンを目指すには、結局、日々のフローの中で負荷をかけることを続けるしかない。

 

「ゾーン」は、脳がリミッターを外した状態である。脳は、本来持っている能力よりも低いレベルで活動を維持している。リミッターを外すと、それだけリスクも増す。脳の働きのバランスをとるためにも、あえて活動を制限しているのである。

 

「フロー」から「ゾーン」への移行は、リミッターの解除を伴うため、日常的にやるわけにはいかない。トップアスリートでも生涯にせいぜい数度しか経験できないのはそのためである。しかし、ゾーンを経験した者は、強い感銘を受け、生涯にわたってその経験を記憶している。

 

フローやゾーンに達することを目指す創造者やアスリートは、今までの自分と異なる自分へのステップを上がることの恐怖を克服しなければならない。そのためには、脳の中で制限をかけているリミッターを外してあげることが必要になる。

 

【以上、引用】

 

 - 人物論