賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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責任の所在を明確にせよ

   

昔から集団行動が好きじゃない。というより、むしろ嫌いだ。ただ、誤解してほしくないのは、別に「苦手」なわけではないという事だ。嫌いなだけである。

 

なぜ集団行動が好きじゃないかというと、まず一点として、意思決定がスムーズじゃなくなるからである。

 

完璧に100%同じ価値観を持った人間の集団でもない限り、当然ながら複数の人間がいれば、人それぞれ物事に対する評価が異なる。そのこと自体は別に良いというか、多様性に対する寛容さが育つという意味で、ある種の人格的な訓練にもなる。そういう意味では人生において確かに必要な経験であり、たまにはそんな場面があっても良い。けれども、そのことが主観的に好きかどうかと言えば、話はまた違ってくる。

 

と、ここまでで終わってしまうと、私は物凄く自己中心的で共感能力が低い人間であるかのように誤解するかもしれないが、それは少し違う。というより、むしろ、どちらかと言えばかなり気を遣う(気が付く)タイプであり、集団の中にいる場合には、独断で勝手に動いたり、他者に偏見を押し付けたりはしない。非常にまともな構成メンバーとしてきちんと振る舞う事ができる。

 

逆に言えば、そういう事ひとつひとつがストレスになるからこそ集団行動が嫌いなのである。同時に、別に苦手なわけではないということの意味も分かってもらえるだろう。

 

そして、私が集団行動を好まないふたつ目の理由は、こちらがより決定的なのだけど、責任の所在がぼやけるからである。なんというか、集団というか組織の規模が増えれば増えるほど、自分自身というものの存在意義がどうも希薄になっていくような感覚があるのだ。

 

身も蓋もない事を言ってしまえば、「これ、オレがちょっとサボったくらいじゃあんまり変わらないんじゃねえか」という思考になるようだともう私の中ではアウトである。ソロのヴォーカリストが音程を間違えたら誰でも気が付くだろうが、大編成のオーケストラで誰か一人だけ間違えたところで誰も気が付かない。つまりはそういう事である。

 

相対的に自分の価値が目減りしてしまう感覚。そういう漠然とした嫌悪感があってどうにも集団行動は好きじゃないのである。

 

誰かのおかげで私の評価が上がったり、誰かのせいで私の評価が下がったり、あるいは、私のおかげ(せい)で組織の評価が上がったり下がったり、そういう事は不毛というか意味がないと感じてしまう。

 

自分の価値は自分だけの責任においてこの世界から評価してほしい。そんな想いで、今日も個人企業家として戦っているのである。

 

 - 思考