賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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読書のハードルを上げ過ぎていないか

   

知識や情報を得る手段として最も格式が高いのは一般的に本、つまり読書だとされている。ある程度以上の長い文章をきちんと集中して読み、更にはその意味をしっかりと理解するというのは確かにバカには到底できない芸当だし、だからこそ、きちんと本を読めるというのはそれだけで一定レベル以上の知的な人間であることの証明でもあるのである。

 

しかしながら、そうは言っても、実際には読書を習慣的に積み重ねていくという行為は多くの人にとってそう簡単ではない。かつてどこかで調べた資料によると、日本人の義務教育修了者の1ヶ月間の平均読書冊数は驚くべきことに1冊未満だったそうである。ちょっとにわかには信じられないかもしれないが、ほとんどの人は1ヶ月にたったの1冊も本を読んでいないのである。

 

昨今、あらゆる情報が無料で誰でもアクセスできるようになりつつある。しかし、この調査結果からもわかるように、結局のところシステムや制度の問題ではなく、個人の意思の程度によって知的格差はどうしようもなく広がっていく。

 

だからこそ、自分の意思で何かを学ぶという気持ちを常に持ち続けなければならない。そうは言っても、わかっちゃいるけど意外としんどいというのが実情だろう。

 

これは過去の自分も含めた多くの「わかっちゃいるけど意外としんどい」人々がもしかすると陥っているかもしれない罠なのだけど、本を読むということのハードルを自分の中で勝手に上げ過ぎているのではないだろうか。

 

どうも本を読むというと、多くの人は最初から最後まで書いてある通りの順番で全部の文章を読まなくてはいけないと無意識に思っている節がある。けれども、良く考えれば、誰が決めたんだそんな事という話だ。別に、いきなり第3章から読んだって良い。最初の10ページを読んでつまらなかったら破いて捨てても良い。最初から一部分だけ読むつもりで買ったって良い。

 

そういう気軽なテキトーなノリで本に手を出してみるというのが最初の一歩として大事なのではないだろうか。身も蓋もない事を言ってしまえば、そもそも読んでいて面白いと思えないような知識はどうせ頭に残らない。だったら楽しい部分だけでもつまみ食いした方が有益だ。少なくとも、勝手に上げ過ぎたハードルを前に一歩も踏み出せないよりはよほど良い。

 

むしろ、「どれどれ、この本は俺様が読んでやるに値するものなのか、ん?」というくらい本に対して上から目線でいるのがちょうど良い。せっかく買ったんだから最後まで読まなきゃという思考も邪魔である。読むも読まぬも気分次第。もっとフランクに本に接する感覚を身に付けると、今以上に読書が楽しくなってくるのではないだろうか。

 

 - 思考