賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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綺麗事を言う資格があるのは本物の才能の持ち主だけ

   

インターネットの世界でビジネスをやろうとすると、しばしば「情報格差を悪用した搾取」が公然と行われている場面に遭遇する事がある。それに対してどんな感情を抱くのかは人それぞれの性格によるだろうけど、少なくとも、そんな事は屁とも思わないくらい割り切れていないとインターネットの世界でビジネスをやっていくのは難しいのではないだろうか。

 

人様からお金を頂く事に対する罪悪感は、やはり商売という点においては邪魔になる。けれども、それはもう本人の生まれ持った性格の問題なので、古臭い自己啓発なんかの手法でマインドを変えようとするのも少し違うかなと個人的には考えている。

 

ビジネス自体が趣味として楽しい場合を除いて、多くの人がビジネスを始める理由として最も根本的なのは「(他者より多くの)お金が欲しいから」であろうと思う。そこはもう青臭い理想論は取っ払って現実的にいかせてもらう。

 

そうなったとき、元からビジネスの才能がある人の場合は、概ねとんとん拍子に物事が進んで、いずれ教育者としての立場になった際には非常にクリーンな発言をする。それは当然だ。その本人にとっては実感としてそうだった事をそのまま話しているのだろう。そういう人達は、まあそれはそれで良い。

 

けれども、ではビジネスの才能がなかったらどうすれば良いのだろうか。潔く諦めるという選択肢もあるにはあるだろうが、いずれにしてもニートのままで一生安泰でもない限り、何らかの生産的な経済活動をしなければならない。つまり、究極的には人生には諦めるという選択肢がないのである。

 

そうなってくると、才能がない側の人間が何かを成そうと思ったら、クリーンなメンタルだけでは勝負できない。当然だ。もともとのスタート位置が違うのだから。それならば、ひとまず綺麗事は横に置いておいて、エグい手法や強引な売り込みも必要に応じて戦略的に使えるようになっておいた方が有利であろう。

 

巷に溢れる自己啓発が胡散臭く感じるのは、「あなたは罪悪感を抱く必要はありませんよ」「お客様に正しく価値を説明して気に入っていただくのですから」みたいなノリだからである。そんな表面的なごまかしが通用するほどこちらもバカではない。

 

そもそも本来は無茶な売り込みに罪悪感を抱く方が確実に正常であって、それを感じないように仕向けていく方がよほど悪質だろう。

 

人様からお金を頂く事への罪悪感は持っていても良い。しかし、まだ何も成し遂げていないうちから綺麗事ばかりを言うのは少し違うんじゃないかと思うのである。それが許されるのは本物の才能の持ち主だけだと私は考えている。

 

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