賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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脳内リソースの枯渇は死を意味する

   

我々のように、世の中に対して何らかのコンテンツを生み出して提供するような仕事をしていると、ネタ切れに対する恐怖というのは常につきまとう。流通業で言えば、売るべき商品を何も仕入れていない状態である。そんなことでは営業がまったく立ち行かない。

 

だからこそ、日々いろんな事から少しでも何かを学べるようにアンテナを張らなければいけない。そんなとき、多くの人は、何か特別にぶっ飛んだ体験をしないと劇的な学びは得られないのではないかとしばしば考えるようだ。まあ確かに、そういう面もあるにはあるのだけど、実際問題としてそんなに高頻度でぶっ飛んだ体験に身を投じていたら、あらゆる意味で身が持たないのではないだろうか。

 

ぶっ飛んだ体験は確かに大きな学びになるが、それよりも重要なのは、そもそも「何を体験しても安定して何かを学べる状態」ではないだろうか。普通に考えて、真っ当に日常を生きていたら、そうそうぶっ飛んだ体験になんて遭遇しない。仮にしたとしても、それはもはやある種の事故みたいなものであって、その頻度や程度をこちら側でコントロールできない。

 

だからこそ、自分自身が世界と接触するフィルターの部分の質を最大限に高める努力をするべきだ。まあ、その最適なやり方がわかれば誰も苦労はしないだろうとツッコまれそうだが、いずれにしてもそういう意識でこの世界の全てから貪欲に何かを学んでやるという気概を持ち続けた先にこそ、ただ普通に生きているだけで無限にネタが出てくるという、夢のような人生丸儲け状態が待っているのではないかと思うのである。

 

 - 人生設計