賢哲なる恣意性

桐峰矜公式ブログ

  

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装うことと委ねることのさじ加減

   

ものの価値というのは、客観的にひとつの正解が決まるわけでは全くなくて、あくまで認識する側の主観に依存する。だからこそ、その価値というものをなるべく客観的に理解しやすい形にして相手に届けてあげる必要が出てくる。つまり、ビジネスで言うなら、あらゆる種類の広告というものが日々その効果を試されているし、一般的な人間関係においてもコミュニケーション能力というものが非常に重要になる。

 

しかし、ここにひとつ難しさがある。広告やコミュニケーションによって価値を伝えるというのは、サラッと聞けば確かに普通の事のように聞こえるが、その手法や方法論だけを抜き出してきて、悪意とブレンドしてみたり、自分の利益追求だけを盲目的に目指してしまったりすると問題がある。まあ確かに、「バカを煽る」という手法は、それはそれでビジネスとしてある程度までは合理的ではあるのだけど、最終的に小さな恨みの蓄積が爆発する事に対するリスクがどうしても無視できない。

 

言ってしまえば、自然には認識できない価値を人工的に無理やり認識させているわけで、やはりいつかどこかで必ず歪みは出てくる。

 

だからこそ、ある程度までやったらあとは受け取る側に委ねるという視点がひとつ重要ではないだろうかと思うのである。結局のところ、こちらがどんなに手を尽くしたところで、相手の最終的な意思決定まで支配できるわけではない。そこはやはり人事を尽くして天命を待つといった境地に至らなければならないのだろう。

 

良いものさえ作れば勝手に売れていくという時代はとっくの昔に終わっている。だからこそ、ある程度まで戦略的に、価値があるのだと装う必要がある。同時に、支配的になり過ぎてはいけない。最終的には相手に判断を委ねる事が重要である。

 

このさじ加減こそが、真に悩む価値のある論点なのではないだろうか。

 

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